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「シュートのたびに吐き気が」― 日本屈指の名シューターがバスケを楽しめなかった理由

1/18(金) 10:33配信

THE ANSWER

連載「ニッポン部活考論」―元日本代表の名シューターが語る“指導論”

 日本の部活動の在り方を考える「THE ANSWER」の連載「ニッポン部活考論」。今回は元バスケットボール日本代表の渡邉拓馬。一度は現役を退いたが、2018年から3人制バスケ「3×3」(スリーバイスリー)で再びコートに戻ってきた。来年の東京五輪から新種目に採用された3人制で夢の舞台を志す40歳は、競技者としての一方でジュニアへの指導にも力を注いでいる。自身のキャリアを振り返りつつ、自らの“指導論”を語った。

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 5人制時代は名シューターとしてならした渡邊。39歳にして「3×3」で現役に復帰し、東京五輪を目指す中で、これまでのバスケ人生を振り返った。それは常に重圧との戦いだったという。

「本格的にバスケを始めたのは小2からです。両親がミニバスのコーチで、最初は体育館に連れていかれたところから。そこからはずっと、小学校時代は厳しかった。親を納得させるプレーができたのは、中学の途中くらいまではなかったかもしれません。思うようにプレーできなかったし、褒められるようなこともなかった。小学校時代はつらい思い出ばかりです」

 こう語り苦笑いする渡邉。厳しい親元でスタートさせたバスケ人生。数年間は「出ては怒られの繰り返し」だったと振り返る。特に厳しかったのは父だった。

「プレーよりも私生活とか挨拶、礼儀、コート上の態度。そういうところが厳しかった。ある時に、不貞腐れた態度をとるとめちゃくちゃ怒られた。小学校の時ですが、今でも鮮明に覚えていますね」

 それでも続けられたのは、子どもながらに感じた“バスケのもつ魅力”だった。

「中学校の2年生くらいから少しずつイメージ通りのプレーができるようになって、楽しさを覚えた。バスケってワンパターンなプレーがない。毎回違う、多彩さに惹かれていった。自分のプレーでスタンドが歓声を上げてくれたり、感動してくれたり、子どもながらに感じました」

シュートを打つたびに吐き気と戦ってきた

 一方で常に苦しみとも向き合ってきた。努力家であり、また責任感も強い渡邉は、誰よりも練習に打ち込んできた。

「高校では全体練習が終わった後、10時くらいまで一人でシューティング練習をやっていた。1日3時間、3年間毎日ですね。最初は一人でしたが、周りもついてきてくれるようになった。自分でもよく練習はしていましたね。数も打ちましたが、その時によく使う動きをイメージしながら、試行錯誤しながらやっていました」

 日本バスケ界有数のシューターに成長した陰には、積み上げてきた努力の跡が確かにあった。だが一方で、渡邉にとってそれは大きなストレスにもなっていた。衝撃の過去をこう明かした。

「シュートの型が決まるまでに社会人になってから4、5年かかった。それまではシュートするたびに吐き気、イライラがあった。イメージ通りに打てない。入るけど、感覚が違う。NBAの選手だと10本中10本、イメージ通りのシュートを打てるが、当時の僕は(10本中)2、3本。本当にストレスが溜まりました」

 名シューターと呼ばれるようになっても、常に重圧と戦い続けていた。だがある時、急に肩の力が抜ける瞬間が来た。それはほんのわずかな、メンタル面の変化だった。

「個人の結果で表現したいという思いが強かったのが、26歳くらいの時、ふとした時に自分のためにじゃなくて、チームのためにと思うようになった。そうしたらふっとそういうの(ストレス)もなくなった。やっとですよね。自分の中でやっとプロになれたかなと。ルーキーの時は先輩に勝たせてもらって新人王とかも取ることができたが、途中勝てない時期があって、その時期に自分自身でもがいていた。自分のせいで負けたと思う試合もあった。だけど、そうじゃなかった。周りが見えるようになったと思います」

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最終更新:1/18(金) 12:35
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