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大学の「教職課程」における学びを問い直す

1/23(水) 8:30配信

教員養成セミナー

■ 「落ちこぼれ」は作られる?
 教員養成の抜本改革を、私は長らく訴えています。学校教育は今、根本的な“ 構造転換” を迎えようとしているからです。

 公教育が始まって、約150年。学校教育はこれまで、ずっと変わらず、基本的に次のようなシステムによって運営されてきました。すなわち、みんなで同じことを、同じペースで、学年学級制の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させるというシステムです。

 ところがこのシステムが、今いたるところで限界を迎えています。

 たとえば、嫌な言葉ですが、いわゆる落ちこぼれ・吹きこぼれ問題。実はこれは、システムによって構造的に引き起こされている側面が非常に大きいのです。

 考えてみれば当然のことです。みんなで同じことを、同じペースで勉強していれば、一度つまずくと、そのまま取り残されるということがどうしても起こります。理解できないまま、授業はどんどん進んでいきます。結果、その子は「落ちこぼれ」というレッテルを貼られてしまうことになる。

 逆に、すでに分かっていることを、何度も繰り返し勉強させられることで、勉強がイヤになるという「吹きこぼれ」問題もあります。一斉授業、画一カリキュラムが中心の教室では、授業についていけずに辛そうな顔をしている子どもと、その逆に、すでに分かっていてつまらなそうにしている子どもたちが一定数いるものです。


■ 小1プロブレムは、むしろ学校のプロブレム
 小1プロブレムや中1ギャップと言われる問題も、多くはシステムが作り出している問題です。

 自由保育の伝統の強い多くの保育園や幼稚園などでは、子どもたちの自主性を尊重した保育や教育がなされています。年長さんにもなると、子どもたちはお兄さんお姉さんとして、年下の子たちの面倒を見たり、お手本になったりと、園を引っ張っていく頼もしい存在になります。

 ところが、今なお多くある、規律に厳しい“統率的”な小学校の先生のクラスに入るやいなや、子どもたちはその自主性をいくらか奪われてしまいます。それまでお兄さんお姉さんとしての自覚を育んできた子どもたちは、いつのまにか何もできない、時に箸の上げ下げにいたるまで「先生の言う通りに」行動しなければならない存在として扱われてしまうのです。その意味で、小1プロブレムは、子どもたちの問題ではなく、子どもたちの自主性を奪い統率しなければ効率的に回らない、現代の学校システムの問題と言うべきだと私は思います(本当は、ほとんどの先生がそんなことなんてしたくないはずです)。

 いじめや、空気を読み合う息苦しい人間関係の問題も同様です。

 これは基本的に、同質性の高い閉鎖的な教室空間が生み出す問題です。みんなができるだけ“同じ”でなければならない。“ 違う” ことが、排除やいじめにつながりかねないのです。
 

■ 学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合
 そのようなわけで、私たちはこれから、学校教育の“ 構造転換” を目指さなければなりません。実際、その転換は今まさに起ころうとしています。それを私は、「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」と呼んでいます。

 学びの「個別化」とは、人それぞれ、興味・関心も、学びのペースも、いつどこで誰とどんなふうに学ぶことが合っているかも違うということを、徹底的に自覚した教育のあり方です。子どもたちは、自分のペースで、自分に合った教材、自分に合った学び方などで学ぶことを保障、尊重されます。そして先生は、それをとことんサポートします。

 ただし、単なる個別化は“ 孤立化” につながってしまいます。そこで重要なのが、「ゆるやかな協同性に支えられた個の学び」です。子どもたちは、必要に応じて、人の力を借りたり、人に力を貸したりしながら学びを進めるのです。教員志望の読者の皆さんには、「協同的な学び」の意義は今さら言うまでもないことだと思います。

 そしてカリキュラムの中核は、「プロジェクト型の学び」「探究型の学び」にしていきます。出来合いの問いと答えばかり学ぶのではなく、「自分たちなりの問いを立て、自分たちなりの仕方で、自分たちなりの答えにたどり着く」、そんな学びです。時間で言うと、4~6割の時間は「探究」に思い切り振る。

 パッと聞いただけでは、イメージが湧きにくいかもしれません。詳しくは、ぜひ「学びの個別化」や「探究型の学び」などのキーワードで検索してみてください。先だって公開された、文科省の「Society 5.0に向けた人材育成~社会が変わる、学びが変わる~」や、経産省の「『未来の教室』とEd Tech研究会 第1次提言」なども、重要な資料ですのでぜひチェックしてみてください。


■ 教員養成を「探究型」に
 さて、ところが今の教員養成のカリキュラムは、残念ながら、こうした構造転換に対応したものにほとんどなっていないのが実情なのです。相変わらず、「決められたことを決められた通りに」「みんなで同じことを同じペースで」教える教育モデルが多くの場合教えられ、そして何と言っても、教員養成自体が、「決められたことを決められた通りに」というシステムで回っています。

 これを、もっともっと学生たちの「プロジェクト」「探究」を中核にしたものへと“ 構造転換” していく必要がある。私はそう考えています。経験的に言っても、「探究」の経験をそれまでほとんどしたことのなかった大学生たちも、一年も経験を積めば立派な「探究者」になります。

 若い皆さんの成長する力を、決して見くびってはならないといつも思っています。


苫野一徳
熊本大学教育学部准教授
1980年生まれ。兵庫県出身。哲学者・教育学者。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。著書『はじめての哲学的思考』『教育の力』など多数。

※『月刊教員養成セミナー 2019年1月号』
「哲学する教育学者 苫野一徳の教育探求コラム ―教師の卵に考えて欲しいこと」』より

最終更新:1/23(水) 8:30
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