ここから本文です

「二塁打」でも「ダブル」でもない なぜ「ツーベース」と言いたくなるのか

1/27(日) 11:00配信

文春オンライン

 ツーベース。日本列島でいっぺんでも野球をしたり見た者にとっては記憶の言い回しだ。「二塁打」ではいけない。米国流の「ダブル」とも違う。子どものころ、みんなが公園や校庭で叫んだツーベース。トゥーでなくツー。書名の由来は「あとがき」に紹介されているが、ともかく、ここに著者の「俗」と離れぬスタイルは表れている。

 熱烈なるベイスターズ党でも知られるライターの「野球短編自撰集」。ひょいと引退の川﨑宗則、東京は巣鴨のスワローズびいきの弁当屋、鈴木誠也にカープ坊主など有名無名が登場の全十九篇には、技術論も、戦評も、ヒーローやスターへの追随もない。強くて弱く、優れているのに愚か、純情にして狷介(けんかい)、幼いころからツーベースに胸躍らせてきた人間たちがひたすら描かれる。

「結局スポーツはさ、体に悪いんだよな」

 必読の第一章の名言だ。

 このとき八十四歳、近藤唯之が自宅で語った。

 かつて旺盛なる筆力で、プロ野球人情物ともサラリーマン物とも称される膨大な作品群を世に出した。

 なんと「榎本喜八へのたった一度だけのインタビューで全五十四回の連載を作ってしまった」。おそるべきモットーは「一行百行」。資料に拾った短いセンテンスをきっかけに延々とペンを走らせる。

 得意のフレーズは「男の運命」に「血の小便」であある。ためらいもなく倉庫に取り置いた常套句を繰り出す。浪曲よろしく原稿用紙に情と義理の節をうなってみせた。

 そんな仕事の姿勢は事実確認のあやうさへの批判も招いた。本当に選手に話を聞いているのか。同業どころか新聞社の同僚からも冷たい声はしきりだった。

「サッカーに、サヨナラがあるのかっ」

 後進は、この取材せずとも物語を紡げた先達を周辺を含めて取材する。音信不通とされた毀誉褒貶の本人にも面会、敬愛をもって耳を傾けた。前掲の一言は、スポーツ記者の早世の隊列をぼやいたものだ。

 以下の発言も。

「まずこれから言わせてもらう。サッカーに、サヨナラがあるのかっ」

 なんとなくいい。

 ドカベンこと香川伸之の聞き書きは「亡くなる半年前と、9日前に行った」。現役時代、減量を求められた思い出に触れて。「痩せろ痩せろ言うて。130キロの選手が動いとったらオモロイのにな」。泣ける。

 ページを閉じて思った。軽妙な文体にだまされてはならない。品があるから俗を書ける。筆致には、この私が珍しい題材に接近できた、というような陶酔はない。実は自分を消そうとしている。では無味乾燥か。いや。むしろ活字はぷつぷつとはねるようだ。

 取材対象のみが主役。くだけた調子でそいつを貫いた。心の貴族である。

 あちこちに「死」の気配が漂う。理由は読み進むとわかる。

むらせひでのぶ/1975年、神奈川県生まれ。ライター。野球を主な題材に各紙誌に寄稿。横浜ファン。著書に『4522敗の記憶』『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』など。

ふじしまだい/1961年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。スポーツ紙記者を経て、独立する。著書に『北風』『人類のためだ。』など。

藤島 大/週刊文春 2019年1月31日号

最終更新:1/27(日) 11:00
文春オンライン

記事提供社からのご案内(外部サイト)

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事