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偉大な王者シューマッハーの長男が20歳にして叩いたフェラーリの門。

1/27(日) 10:01配信

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 1月3日から、フェラーリがイタリア・マラネロにある記念館で、"Michael50"と銘打った特別エキシビションを開催している。史上最多、7度のチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハーの50歳になる誕生日を祝して催されたものだ。

 '12年限りで現役を引退したシューマッハーが不幸なアクシデントに見舞われたのは、'13年末のことだった。フランス・グルノーブルのメリベル・リゾートでスキーを楽しんでいる最中に転倒。頭部に重傷を負い、一時は生命の危機に直面するも、2度に渡る手術を経て、最悪の状況は脱した。

 その後、退院して自宅に帰り、現在もリハビリを続けていると言われている。シューマッハーは現役を引退したが、いまもなお戦い続けているのだ。

 フェラーリが特別エキシビションを催したのも、かつてエースドライバーとしてともに数々の栄光を獲得した盟友を激励するためだった。“Michael50”の開催にあたって、フェラーリはこんなメッセージを贈った。

 「フェラーリの歴史の中で、7度王者に輝いたミハエルは特別な存在だ。エキシビションでは、偉大なチャンピオンがフェラーリに与えてくれた忘れられない思い出を振り返りたい」

若手育成プログラムに加入。

 そのフェラーリの門を今年、もうひとりのシューマッハーが叩いた。ミハエルの長男のミック・シューマッハーだ。フェラーリの若手ドライバー育成プログラムである「フェラーリ・ドライバー・アカデミー」(FDA)に加入する決断を下したのだ。

 9歳でレース活動をスタートさせたミックの活躍は、当初ほとんど知られなかった。それは、偉大な父親を持つ二世ドライバーとして過剰に報道されることを両親が恐れたからだ。

 注目を避けるため、デビュー当時、ミックは母コリーナの旧姓を使用してミック・ベッシュという名前でレースに参戦していたほどだ。

敢えて選択した回り道。

 カート時代のミックは優秀な走りを披露していたものの、チャンピオンを獲得するほどの速さはなかった。そんなミックが'14年になると突然、注目されるようになる。

 前年末にスキーの事故に遭ったシューマッハーの一家に対する報道が過熱し、ミックがミハエル・シューマッハーの息子であることが世間に明らかになったからだ。

 そのため、この年から彼は本来の名前である「ミック・シューマッハー」としてレース活動を行なう決断を下す。これによってメディアからの注目度が上がると、それと比例するかのように成績も向上していった。

 '16年にヨーロッパのF4選手権で2位になると、'18年にはヨーロッパF3選手権で、ついに頂点に立った。

 注目したのはメディアだけではない。多くのF1チームも、その才能に目を留めた。

 F3王者となったことで、ミックがF1ドライバーに必要なスーパーライセンスの申請に十分なポイントを獲得したからだ。一部のチームは、'19年のレースシートをオファーしていたほどだった。

 だが、ミックはここで敢えて回り道を選択した。'19年はF1直下のカテゴリーであるF2選手権への参戦を選び、同時にFDAにも加入したのだ。

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最終更新:1/27(日) 10:01
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