2019年1月28日、第198回通常国会が召集され、安倍総理は施政方針演説の中で、「広くアイヌ文化を発信する拠点を白老町に整備し、アイヌの皆さんが先住民族として誇りを持って生活できるよう取り組みます」と述べた。
本国会では、アイヌ民族を支援する新法案、いわゆる「アイヌ新法」が提出され、3月の成立が目指されることになっている。そこではアイヌ民族が「先住民族」であることが、法律上初めて記される予定なのだ。おそらく「差別を禁じる」といった文言も入るのではないか。
現在、アイヌに関しては「アイヌ文化振興法」という法律がある。これは1997年5月に成立したもので、この法律によって明治32年に制定された「北海道旧土人保護法」が初めて廃止された。それまでは形式上のこととはいえ、「旧土人」という名称のついた法律が生きていたということなのだ。
この法律はその名の通り、「アイヌ語並びにアイヌにおいて継承されてきた音楽、舞踊、工芸その他」の保存や振興を目的とするものであった。ただし付帯決議として、「アイヌの人々の人権の擁護と啓発に関しては、『人種差別撤廃条約』の批准、『人権教育のための国連十年』等の趣旨を尊重し、所要の施策を講ずるよう努めること」といった事項が盛り込まれた。ただし、アイヌが日本の「先住民族」かという点については、「アイヌの人々の『先住性』は、歴史的現実であり、この事実も含め、アイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発の推進に努めること」と記載されるにとどまった。
総理の施政方針演説の「アイヌの皆さんが先住民族として」という言葉は、新法にはそれがはっきりうたわれることを意味している。アイヌ民族の復権を目指し、この問題に取り組んできた人にとっては、感慨もひとしおであろう。
ただ、当事者らにとっては、法律は必ずしも満足のいくものとは言えないのもたしかだ。アイヌ文化を生かした地域振興に取り組む自治体に交付金が付与される、アイヌの伝統儀式のためのサケの捕獲について特例措置が設けられるといった項目はあるものの、日本政府がアイヌから簒奪した土地、資源などの返還やいまだに低いアイヌ家庭の進学率や世帯収入の是正には触れられていない。また、盛り込まれる予定の「サケの捕獲の特例措置」に関しても、「江戸時代までは自由にサケを獲っていたのだから、その権利を戻してほしい」という声が上がっている。国際的な先住民族に関する法律と比較しても、土地の権利や自己決定権を認める政策が織り込まれていないこのたびの新法は不十分、という専門家の声もある。
とはいえ、法律に「先住民族」と書き込まれ、明確に差別が禁じられることの意義は大きく、今後、この法律に基づいて生活格差や差別解消のための具体的な施策が作られることが期待される。
ところが、この新法に反対する人たちがいる。チャンネル桜・創設者の水島総氏が幹事長をつとめる「頑張れ日本!全国行動委員会」やチャンネル桜もそうで、1月29日には「日本分断解体阻止!アイヌ新法絶対反対! 緊急国民行動」なる集会が首相官邸前で行われた。彼らの言い分は「アイヌは無理やり同化を迫られたのではなくて、自ら進んで“日本人”になった。いまさらアイヌを先住民族として認めるのは日本の分断・解体につながりかねない」というものだが、さらにその背後には「アイヌを先住民族と認めよというのは“利権狙い”だ」という考えがある。この反対運動の中心人物のひとりである元北海道議の小野寺まさる氏は、チャンネル桜の番組や自身のSNSで「アイヌ利権はカジノ利権になる可能性が高い」「アイヌ協会は北朝鮮関連団体と親密な関係にある」と繰り返しているのだ。
私は2015年3月号の本誌で、「民族としてのアイヌ、先住民族としてのアイヌ」について漫画家の小林よしのり氏と対談をした(その後、ブックレット『対決対談!「アイヌ論争」とヘイトスピーチ』として本社より発刊)。これは、札幌市議(当時)の金子快之氏が2014年8月11日にツイッターで「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところですが、利権を行使しまくっているこの不合理。納税者に説明できません。」と記したのがきっかけとなり、ネットの世界を中心に「アイヌ民族否定論」が声高に主張されるようになったのを受けたものだ。この「アイヌ民族など存在しない」という主張は、かつて小林よしのり氏が作品で描いて大きな話題になったもので、小林氏も当時、ブログなどでこの金子発言を支持していたからだ。
小林氏の主張は、「古式豊かなアイヌの生活をしている人などどこにもいないからアイヌは民族ではない」という一見、素朴なものであった。私は、とくに70年代以降、世界的に起きている先住民族の権利回復の流れの中にこのアイヌの問題もあること、その中では「民族の定義」は伝統的な生活様式だとかDNA鑑定などによるものではなく、当事者の自認によるとするのが基本であることを国連の条約などをあげながら説明したつもりだった。
ところが小林氏は、そういった説明よりもとにかく「アイヌの言語を話し、昔ながらの生活をしているアイヌを見たことがない」「いるなら連れてきてくれ」という主張で、話は平行線に終わった。
その民族であることは自認と自己申告で決定されるとなると、「その民族になりたいからそう名乗る」といった、いわゆる“なりすまし”の問題も100%排除はできない(実際にアイヌに関しても、その文化にあこがれを持つあまりそう名乗る人もいたそうである)。その点をやけに懸念する人もいるが、アイヌは幸か不幸かその数があまり多くなく、血縁が共同体で暮らしてきた生活スタイルもあり、「どこの誰の血を引くあの人」といった把握が比較的、簡単なのだそうだ。だから、いきなり見も知らない人が「私はアイヌです」と名乗り、いまアイヌとしての登録を担っているアイヌ協会がそれをすんなり認める、ということは現実的ではないという。
それが2014年から15年にかけてのことであったが、ここに来てまた小林氏が週刊誌『SPA!』の連載やブログでアイヌのことを繰り返し取り上げるようになった。しかし、それはこのたびの新法とは関係のない問題が発端となっている。2018年11月29日付の講談社のウェブメディア「現代ビジネス」に、文筆家の古谷経衡氏は「ネットを徘徊する怪物―『差別的デマ』は、いま誰を餌食にしているのか」という文章を発表した。
そこで古谷氏は2014年から15年にかけて、いくら検証しても実態の出てこない「在日特権」に代えて、ほかのさまざまな「特権」がねつ造されていった歴史を振り返り、そのひとつとして「アイヌ特権」をあげている。以下は古谷氏の文章の引用だ。
「『アイヌ特権』とは何か? それは、北海道の先住民であるアイヌ民族が、和人(日本人)に陵虐された、という被害者としての立場を利用して、様々なアファーマティブアクション(弱者集団への優遇措置)を享受している――という内容であった。
この運動の最前衛に立ったのは、漫画家の小林よしのりであった。小林は『アイヌ民族など存在しない』というトンデモな主張を繰り返し、『アイヌは北海道の先住民ではない』という妄想を漫画やブログで発表した。
特に『アイヌ民族は存在しない』という持論については、学術的な根拠を何ら示さないばかりか、『殖産の時代、アイヌ民族は自らを“アイヌ”と自称していなかったから』という屁理屈を展開し続けた。」
古谷氏は続いて「沖縄」が差別の対象となっていく話へと論を進めるのだが、この文章はネットを中心に話題となり、ツイッターでは多くの人がこれを取り上げた。立憲民主党の公式アカウントもそのひとつだったのだが、それに対して小林氏のアシスタントである時浦兼氏が党に抗議文を送ったのだ。その一部には、こう記されている。
「この記事には、小林よしのりに関して極めて重大なデマが書かれています。記事では、2014年~2015年頃に最盛期を迎えたネット右翼によるアイヌに対するヘイト運動について、『この運動の最前線に立ったのは、漫画家の小林よしのりであった』と断定しています。
しかし、小林がアイヌについて著作を行ったのは2008年から09年にかけてで、しかもその内容にヘイトを煽るような要素もなく、2014~15年頃のヘイト運動の『最前線に立った』などという事実は一切ありません。」
時期が問題だというのなら、先述したように2014年になって吹き荒れた「アイヌ民族否定」の論者たちのイデオローグは小林氏であったし、その考えは以前と変わらないことは対談でも確認したのだから、古谷氏の記述は完全な間違いとはいえない。私はツイッターでそういった発言を行った。
するとその後、小林氏は連載作品の中で、古谷氏や私を「真実を語る者の口封じだ」「彼らこそ真の差別主義者だ」というおなじみの論法で批判し始めたのである。
私も古谷氏も言論人であるから、批判されるのは別にかまわないのだ。マンガで一方的にこちらのビジュアルをデフォルメして悪人という印象を強化されるのは問題だとは思うが、それもよしとしよう。しかしそれでも許せないのは、いまだに「アイヌ民族はいない」と繰り返す小林氏の発言は、新法で禁じられようとしているアイヌの尊厳を傷つける差別である。
このように船出は難航しているが、このたびばかりは自民党にもがんばってもらって、なんとかアイヌを先住民族だと認めるアイヌ新法がすんなり成立することを願っている。
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