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愛甲猛 落合を師と仰いで手に入れた打者としての自信/プロ野球1980年代の名選手

2/12(火) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

やんちゃなガキ大将がプロで“皆勤賞”

 甲子園でフィーバーを巻き起こすほどのアイドル的な人気を集めてしまうと、プロ野球選手としては成功しづらい傾向があるようだ。高校時代に選手としての全盛期を迎えてしまったのか、プロの選手としては未熟なまま主力を任される重圧か、あるいは若くして頂点を味わったことによる慢心か。人それぞれに事情は異なるだろうが、1980年、横浜高の主将、エースとして夏の甲子園で優勝し、秋のドラフトでロッテから1位で指名された愛甲猛も、そんな1人だろう。

 甲子園の決勝戦では、早実でアイドル的な人気を誇った1年生エースの荒木大輔との“アイドル対決”を制し、甘いマスクの“王道アイドル”ともいえる荒木を破った“やんちゃ坊主”にも女性ファンが押し寄せた。当時は校内暴力が社会問題になっていた時代。高校球児のさわやかさとは裏腹に、のちの述懐によると、なかなかの“やんちゃ”だったという。

 ちなみに、このドラフトの目玉は巨人から1位で指名された原辰徳で、“若大将”と呼ばれて王道を走る活躍。高卒と大卒、投手と打者、巨人とロッテという違いがあるのは間違いないが、やんちゃな“ガキ大将”と“若大将”は、プロでは雲と泥ほどの差ができてしまった。

 投手ながらロッテで背番号1を与えられたものの、“客寄せ”のような部分もあり、3年連続で勝ち星なしに終わる。そんな甲子園優勝投手に声をかけたのが、82年に史上最年少で三冠王に輝いた落合博満だった。

「お前はバッターのほうが稼げるぞ」

 83年の秋季練習から打者に転向。落合を師に仰いで、プロ野球選手としての生き残りを懸けた戦いが始まった。当時のパ・リーグは、すでに指名打者制となっており、投手として出場しても打席に立つ機会はなく、初打席はプロ5年目の85年。10月3日の日本ハム戦(後楽園)で決勝打となるプロ初本塁打を放って、ようやく慢心ではない自信を手にする。もともと左腕だったこともあり、守備位置は限られたが、翌86年からは外野と一塁を兼ねて出場機会を増やしていった。

 やんちゃな高校時代を過ごしていたことは前述した。そんな少年には甲子園の優勝という派手な舞台は似合っても、朝ちゃんと学校に出てきて、最後まで授業に出続けるような“皆勤賞”は似合わない。文武両道、勉強もできて体も丈夫な優等生のすることだろう。だが、やんちゃな高校生だった男は、プロとなって“皆勤賞”に挑んでいくことになる。

 初の規定打席到達は一塁のレギュラーを不動のものとした88年で、全試合にも出場。6月25日の西武戦(石川県立)から連続フルイニング出場をスタートさせる。

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