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原巨人の知られざる的確な補強。メジャーで学んだ敏腕の履歴書。

2/12(火) 7:01配信

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 1月の終わり、都内某所。

 空っ風から逃げるように待ち合わせのビルに駆け込むと、原辰徳氏と菅野隆志氏が待っていた。

 原氏は言わずと知れた巨人の監督、そして菅野氏は巨人のエース菅野智之の父である。東海大相模高野球部で筆者より1年先輩である原氏と、3年後輩の菅野氏との野球談議は、オフの帰国で最も楽しみにしていることだ。

 そんな「プチOB会」に、今年は1人の顔馴染みが招かれていた。黒のスーツに身を包み「読売巨人軍 国際部・統括部」と記された名刺を差し出したのは、アントニー鈴木(40)だった。

 通訳として2005年にパドレスで、2006年から昨年までマリナーズで、米国で計14年の研鑽を積んだアントニーに原氏が電話を入れたのは、昨秋に3度目の監督就任を公にした直後だった。原氏は将来を見据えたチーム作りの一翼を担える人物として、アントニーを球団に推薦している。

原が高校球児だった頃からの縁。

 原氏とアントニーの縁は、原氏が高校球児だった頃まで遡る。原氏は高校3年の夏の甲子園大会終了後、全日本選抜チームの主軸選手として米国遠征に参加。親善試合でハワイを訪れた際、ワイキキのホテルでギフトショップを営んでいたアントニーの父・淳氏と出会う。以来、巨人軍の優勝旅行やプライベート旅行の度に鈴木家と親交を深めてきた。

 巨人入団1年目の1981年オフ、原氏は日本一の優勝旅行でハワイを訪れた際にある物をアントニーにプレゼントしている。その時、彼は3歳だった。

 「当時、日本で流行っていたファミコンをプレゼントして頂きました。(原氏が)僕を抱いたツーショットの写真と一緒に、今も大切に保管しています」とアントニー。

 時は経ち、2人は2009年の第2回WBCで侍ジャパンの監督とスタッフの1人として、ともに世界一を目指すことになる。

WBCで様々なアドバイス。

 原氏は10年前をこう述懐した。

 「相手選手の情報はもとより、(メジャーリーグの)審判の癖やアピールすべきタイミングなど、幾つものアドバイスを受けてとても助かった。国際大会での不安はなくなり、自分の指揮に集中できた」

 原氏がWBCでアントニーに好印象を抱いたのは確かだが、これが直接、今回のオファーに結びついたわけではない。大会後も現場で知見を広げていたアントニーの歩みが、巨人軍の組織を構築する上で有益になると判断したからだった。

 「これからのチーム作りやフロントの在り方において、アントニーがアメリカで培ったノウハウは必ず活性化を生むはず。だから、配属先を1つに決めずに動いてもらうことで球団とも一致している」

 アントニーと話をしていると、いささかも日本語の不自然さを感じない。単に流暢というだけではなく、湿気を帯びた日本の風土に根づく特有の理屈や態度などを十分に咀嚼し、理解している。

 「野球を通じて日本独特の上下関係や礼儀を学びました」

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最終更新:2/12(火) 16:05
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