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評価を気にすると子どもたちは「学び」を楽しめなくなる。「評定」はそろそろ廃止すべきだ。

2/23(土) 8:30配信

教員養成セミナー

「テスト」は一体何のため?

■ 序列化のためではない
 テスト、と聞くと、私たちの多くは、すぐに成績の順位づけをイメージしてしまうのではないでしょうか。テストは子どもたちの序列化と選抜のためのもの。そんなイメージを、多くの日本人は持っているのではないかと思います。

 でも実を言うと、義務教育段階においては、テストはそのような意味を全く持ちません。というのも、義務教育の根本的な使命の一つは、すべての子どもに一定水準以上の学力を保障することにあるからです(ここで言う「学力」とは一体何かという点については、また改めてこの連載で論じたいと思いますが、今回は割愛します)。テストはこの使命を果たすためのツールです。それはつまり、子どもたちの学びの過程をモニターし、教育や学習の改善につなげるためのものであるということです。


■「評価」が勉強嫌いを生む?
 平成14 年度版の学習指導要領において、学校での評価が「相対評価」から「絶対評価」に変わったのは、まさにこの義務教育の本義に立ち戻るためでした。クラスメートと比較して順位をつけるのではなく、学習指導要領が定める内容がどれだけ定着しているかを評することになったのです。

 繰り返しますが、義務教育の一つの使命は、すべての子どもの学力を必ず保障することにあります。その際、子どもたちを序列化する必要など全くないのです。

 序列化や点数評価が、子どもたちの学びにとって多くの場合逆効果であることは、さまざまな研究によって明らかにされています。評価を気にすると、子どもたちは学びそれ自体を楽しめなくなってしまうのです。もっと言えば、この点数評価のために、勉強が嫌いになってしまう子どもも少なくないのです。


■ 矛盾に満ちた「評定」を廃止するメリット
 とすれば、次のステップは「評定」の廃止である。私はそう考えています。

 学校関係者には周知のことですが、「評価」と「評定」は区別されるべき概念です。

 おおざっぱに言うならば、「評価」は学習状況の見取りのこと。子どもたちが、今何をどの程度達成しているかを見取ることです。

 指導要領の目標や内容に照らして、子どもたちの学習状況が「関心・意欲・態度」「思考・判断・表現」「技能」「知識・理解」の4つの観点から評価されています。2020 年度から全面実施の新学習指導要領では、「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」「主体的に学
習に取り組む態度」の3つの観点になります。これらそれぞれの観点において、A(十分満足できる)、B(おおむね満足できる)、C(努力を要する)の3段階で評価(見取り)がなされるのです。

 他方の「評定」は、これまたおおざっぱに言えば成績づけのことです。先の「評価」に基づいて、小学校3年生以降、1~3の3段階で成績づけ(評定)がなされるわけです(中学校は5段階)。

 この「評定」を、私はそろそろ廃止すべきだと考えています。理由は次の3つです。

 一つは、先にも言った通り、質の高い学びのために、点数評価は多くの場合逆効果であるからです。読者の皆さんも、大学のつまらない授業ばかりか、役に立つと思われる授業でさえも、できるだけ省エネして単位を取ろうという意識が働いてしまうことはないでしょうか? 学びに成績がからむと、私たちは実りある学び以上に、楽をしていい成績を取ることを考えるようになるのです。

 二つ目の理由は、能力測定にはあいまいさと恣意性が避けられないという点です。たとえば、80点の子と85 点の子との間に、一体どれだけ実質的な差があると言えるでしょうか。また、何をもって“ 能力”があるとするかも、大きく恣意性が働かざるを得ないものです。

 たとえば、先ほど評価観点として「関心・意欲・態度」を挙げましたが、これほどに恣意的な観点はないと言っていいでしょう。この観点の登場によって、たとえばテストで満点を取っても、「態度」が悪いとか「意欲」が欠けているとか見なされると、成績(評定)を下げられてしまう可能性が出てしまいました。いわゆる「内申書の支配」の深刻化です。

 「関心・意欲・態度」の優れた(?)子どもの方が、そうでない子より「能力がある」と、私たちは本当に言うことなどできるでしょうか? さらに言えば、そもそも関心や意欲が低いのは子どもたちの責任なのでしょうか? それはむしろ、子どもたちの関心や意欲を引き出せなかった、教師の責任であると考える必要もあるのではないでしょうか?


■ 「フィードバックとしての評価」へ
 「評定」を廃止すべき最後の理由は、評定がある限り、保護者も子どもも、さらには先生たちでさえ、序列化としてのテストという考えからどうしても逃れられないからです。

 冒頭で言ったように、義務教育におけるテストは、本来序列化のためのものではまったくありません。それは、子どもたちの学習の過程をモニターし、教育や学習の改善につなげるためのものなのです。とするなら、その水準に比して、子どもたちが今どの段階にいるかを把握する「評価」(見取り)だけで、本来十分であるはずです。そしてその「評価」(見取り)をもとに、教師は、すべての子どもたちの学力の保障のために、徹底的に支援していく必要があるのです。

 義務教育における評価の大原則は、「フィードバックとしての評価」である。私はそのように訴えたいと思います。子どもたちが、これまで何をどのように頑張ったか、これから何をどのように頑張っていくといいか、子どもたちを応援・支援する仕方でフィードバックする。そうすることによって、すべての子どもの学力を、確実に保障できるよう後押しをするのです。

 そうした評価のための良書はたくさん出ています。ここでは、スター・サックシュタインの『成績をハックする』と、C・A・トムリンソン、T・R・ムーンの『一人ひとりをいかす評価』をご紹介しておきたいと思います。



苫野一徳
熊本大学教育学部准教授
1980年生まれ。兵庫県出身。哲学者・教育学者。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。著書『はじめての哲学的思考』『教育の力』など多数。

※『月刊教員養成セミナー 2019年3月号』
「哲学する教育学者 苫野一徳の教育探求コラム  ―教師の卵に考えて欲しいこと」より

最終更新:2/23(土) 8:30
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