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【東日本大震災、医師たちの奮闘】大津波により孤立した病院で最後の1人が救出されるまで患者に寄り添った 米国TIME誌「世界最も影響力のある100人」に選ばれた医師が語る3.11 【南三陸町 公立志津川病院 菅野武医師】

2/25(月) 11:00配信 有料

デイリー新潮

 東日本大震災から今年で8年が経過する。未だあの日の記憶を鮮明に覚えている方は多いだろう。M9という観測史上最大の地震に加え、私たちの想像をはるかに超える大津波。死者、行方不明者合わせて1万8千人を超える未曾有の被害をもたらした大震災だが、そこでは多くの人々が「生きる」ために奮闘したことも忘れてはいけないだろう。命の可能性を信じ続けた医師のドキュメンタリーをシリーズでお届けする。

 第1回は、米国TIME誌が選ぶ世界で「最も影響力のある100人」にも選ばれた菅野武(かんの・たけし)さん。2011年当時は、南三陸町の公立志津川(しづがわ)病院に医長として勤務していた。大津波により孤立した病院で、多くの「死」と向き合いながらも、最後の1人が救出されるまで医師として患者に寄り添った菅野さん。凄絶な現場を体験した菅野さんは何を想ったか――。(以下、『救命 東日本大震災、医師たちの奮闘』(海堂尊監修)より抜粋。※肩書・役職・年齢等は2011年の取材時のものです。)

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■無我夢中で「早く五階に上がれ」
 あの日、二〇一一年三月一一日は、いつもと変わらぬ金曜日になるはずでした。

 午前七時半から病棟で回診を始め、胃カメラをやって外来診察があって。午前中は四〇人くらいの患者さんを診たはずで、これは普段と同じペースでした。午後二時からまた回診があり、医局の自分のデスクに戻ったのが、ちょうど二時四〇分を少し過ぎたくらい。この日の夜には、送別会を開いてもらう予定でしたから、チラッとそのことを考えたりしていました。

 僕が志津川病院に赴任したのは二〇〇九年四月のことでした。この三月末をもって二年の任期を終了し、東北大学大学院に進学する予定だったんです。

 そうしたら、いきなりドドドッて強烈な縦に突き上げる揺れが来て、ほとんど同時にケータイの緊急地震速報が鳴り、その音が消えないうちに今度はグワーン、グワーンと横に大きく揺れ始めました。時刻は、忘れもしない午後二時四六分。医局では本棚が倒れて僕の隣のデスクのパソコンにあたり、火花が飛び散ったのを今も鮮明に覚えています。

 揺れが収まるのを待ち切れず、病室めがけて階段を駆け上っていました。入院患者さんは、ほとんどが寝たきりや六五歳以上の高齢者なんです。志津川病院は五階建ての西棟と四階建ての東棟があり、五階以外のそれぞれの階が渡り廊下で繋(つな)がっています。僕がいた医局や看護部長室、総務課など病院スタッフに関連する部署は二階に集中しており、病室は三階と四階です。 本文:20,320文字 写真:9枚 ...

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インタビュー・構成 増田晶文

最終更新:2/26(火) 19:27
記事提供期間:2019/2/25(月)~10/23(水)
デイリー新潮

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