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【東日本大震災、医師たちの奮闘】「PTSDに陥らないために」多くの災害地や難民キャンプの現場を踏んだ心療内科医が語る3.11 【名取市 東北国際クリニック 桑山紀彦医師】

2/26(火) 11:00配信 有料

デイリー新潮

 東日本大震災から今年で8年が経過する。未だあの日の記憶を鮮明に覚えている方は多いだろう。M9という観測史上最大の地震に加え、私たちの想像をはるかに超える大津波。死者、行方不明者合わせて1万8千人を超える未曾有の被害をもたらした大震災だが、そこでは多くの人々が「生きる」ために奮闘したことも忘れてはいけないだろう。命の可能性を信じ続けた医師のドキュメンタリーをシリーズでお届けする。

 第2回は、国際協力ボランティアとして数多くの患者さんのカウンセリングし、災害時の緊急医療支援をしてきた桑山紀彦(くわやま・のりひこ)さん。2011年当時は、人口の一割にも達する七百四十人以上の命が一瞬で奪われた、宮城県名取市閖上地区で東北国際クリニックを開業していた。震災の翌日から一人で診察を再開、被災した患者さんとともに多くの涙を流した。(以下、『救命 東日本大震災、医師たちの奮闘』(海堂尊監修)より抜粋。※肩書・役職・年齢等は2011年の取材時のものです)

 ***

■家も財産もみんな失った。な~んにも残っていねえんだよ……
 見るからに海の男の伸介(しんすけ)さん(仮名=以下、患者さんの名前はすべて仮名)は七十八歳。降圧剤を津波で流され、薬をもらいにやってきました。

「保険証はないけど、薬はもらえるかな」

「もちろん、お金も要りませんから」

「ありがとう」と言った途端、黙りこくってしまいました。

 しばらくすると顔を上げて、歪(ゆが)んだ面持ちで、

「先生、オレ、ここで泣いていいかな。家も財産もみんな失った。な~んにも残っていねえんだよ……」

 とおっしゃるんです。僕は、両手を握り締め、肩を上下に大きく震わす伸介さんの肩を抱くことしかできませんでした。

 お腹(なか)が痛いといって来院した梓(あずさ)ちゃんは、避難所から来た高校一年生です。

「下痢はしている?」

「はい」

「そっか、避難所は冷えるからね。お父さんとお母さんは?」

「…………」

「ん?」

「二人とも死んじゃった……」

 大粒の涙を流す梓ちゃんの背中をさすりながら、一緒に涙を流しました。この子は避難所に戻っても一人ぽっち。彼女はこれからどう生きていけばいいのでしょう……。

 この日は一人で五十五人の患者さんに対応しました。もちろん、食事を摂(と)る時間なんてありません。患者さんがいつ来院してもいいように、二十四時間病院を開けていたので、それから一週間はほとんど睡眠なし、食事なしで診療に当たりました。でも、不思議に眠くならず、お腹も空(す)きませんでした。患者さんたちと対峙(たいじ)していると、突然突きつけられた彼らの残酷な運命に、僕の生理的な本能も頭を引っ込めてしまったようです。僕自身、災害一週間ぐらいは精神が高揚し、自分でも信じられないくらいの力が出る、災害心理で言う「蜜月(みつげつ)期」だったのだと思います。 本文:19,549文字 写真:12枚 ...

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(インタビュー・構成 吉井妙子)

最終更新:2/27(水) 17:52
記事提供期間:2019/2/26(火)~10/24(木)
デイリー新潮

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