ここから本文です

【東日本大震災、医師たちの奮闘】「『ビッグパレットふくしま』避難所で命を失った方は一人もいません。それが誇りです」原発事故で着のみ着のまま逃れ… 外科医が語る3.11 【双葉郡富岡町 富岡中央医院 井坂晶医師】

2/27(水) 11:00配信 有料

デイリー新潮

【東日本大震災、医師たちの奮闘】「『ビッグパレットふくしま』避難所で命を失った方は一人もいません。それが誇りです」原発事故で着のみ着のまま逃れ… 外科医が語る3.11 【双葉郡富岡町 富岡中央医院 井坂晶医師】

 東日本大震災から今年で8年が経過する。未だあの日の記憶を鮮明に覚えている方は多いだろう。M9という観測史上最大の地震に加え、私たちの想像をはるかに超える大津波。死者、行方不明者合わせて1万8千人を超える未曾有の被害をもたらした大震災だが、そこでは多くの人々が「生きる」ために奮闘したことも忘れてはいけないだろう。命の可能性を信じ続けた医師のドキュメンタリーをシリーズでお届けする。

 第3回は、地域に密着した「かかりつけ医」として、医療的な過疎化が著しい福島県医療に貢献し続けてきた井坂晶(いさか・あきら)さん。2011年当時は、福島第一原子力発電所にほど近い福島県双葉郡富岡町で富岡中央医院を開業していた。原発事故で自らも避難を余儀なくされ、避難先の郡山市にある避難所「ビッグパレットふくしま」の救護所で一日二百人以上診察した。(以下、『救命 東日本大震災、医師たちの奮闘』(海堂尊監修)より抜粋。※肩書・役職・年齢等は2011年の取材時のものです)

 ***

■原発の安全を過大評価していた
 なぜ避難するのかという理由さえもよく分かっていませんでしたが、そうこうするうちに原発が爆発したという話が聞こえてきたのです。実はこの時点では、まだ爆発は起こっていないと思っていましたが、爆発したという話を聞いて、これはただ事ではないと。

 ほんとうは一日、二日の避難のつもりで町を出たのですが、二度、三度と爆発が続きましたから、もう帰るめどが一切たたなくなってしまいました。

 避難した川内村には通信手段はありませんでしたが、電気は通じていたので、テレビはついたんです。十二日に避難して、すこし落ち着いて、初めてテレビのニュースを見たのは、地震から四日目の三月十四日でした。

 原発がまさか爆発するとは思わなかったです。最初は水素爆発だったんでしょうけれども、実際は、その直後からメルトダウンが起こっていたわけですよね。一号機に続いて、また爆発が起きて、結局、三つも建屋が破れちゃった。その報道を見て、私にはこれで放射能が漏れていれば当分帰れなくなるなという心構えはあったわけですけど、皆さんは、それでも原子炉そのものが爆発したわけじゃないので早く帰れるだろうと、それを期待していたと思います。

 ですが、三カ月経(た)ってもこのような事態ですから、収束するまでどのくらいかかるか、まったくわかりませんし、もはや期待も出来ません。

 いまだに原発の中では修復するために作業員が一生懸命頑張っているわけですけど、その人たちはいまだって大変でしょうし、必死だと思いますね。ただ、こういう事態になったときに、やっぱり国が率先して外国にすぐ応援をいただいてね、あらゆる国から知恵のある方、優秀な方を呼んで、修復のための処置をすべきだったのではないかと思いますが、あまりうまくいかなかったようですね。

「想定外だ」とばかり言っていては、対応が遅れるのも当たり前です。

 原子力というのは国の政策で始まったものだし、それに従って県が持ってきて、東電にお願いした部分があります。原子力の安全委員会とか保安院とかあるわけですけど、それらがすべて十分な機能を果たしていないというか、使命感を持っていなかったのではないかと思います。

 何故(なぜ)なのかはわかりませんが、非常に対応が悪かったかなと。結局、地震があっても大きな事故は「起こらない」という予測しかたてていなかったため、国も、県も、原子力安全委員会も、地震災害に備えての準備や指導をほとんどしてこなかったんだと思います。 本文:15,777文字 写真:10枚 ...

続きをお読みいただくには、記事の購入が必要です。

すでに購入済みの方はログインしてください。

  • 税込162
    使えます

サービスの概要を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。 購入後に記事が表示されない場合はページを再度読み込んでください。 購入した記事は購読一覧で確認できます。

(インタビュー・構成 新潮社取材班)

最終更新:2/27(水) 17:51
記事提供期間:2019/2/27(水)~10/25(金)
デイリー新潮

おすすめの有料記事

使えます

もっと見る