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【東日本大震災、医師たちの奮闘】「病気は患者さんが自分で治すもの。医者はその手助けをする」 津波と火災で全てを奪われた大槌町で医事に奔走した医師が語る3.11【岩手県大槌町 植田医院 植田俊郎医師】

3/1(金) 11:00配信 有料

デイリー新潮

 東日本大震災から今年で8年が経過する。未だあの日の記憶を鮮明に覚えている方は多いだろう。M9という観測史上最大の地震に加え、私たちの想像をはるかに超える大津波。死者、行方不明者合わせて1万8千人を超える未曾有の被害をもたらした大震災だが、そこでは多くの人々が「生きる」ために奮闘したことも忘れてはいけないだろう。命の可能性を信じ続けた医師のドキュメンタリーをシリーズでお届けする。

 第5回は、岩手県大槌町で1990年から開業医として地元住民の診療にあたってきた植田俊郎さん。診療中に被災し医院は壊滅、それでも避難所に泊まり込み診療を続け、緊急の治療を必要としている患者さんを探したり、災害対策本部へ薬の要請をしたりと医事に奔走した。自身も被災した植田さんが現場で感じたこととは――。((以下、『救命東日本大震災、医師たちの奮闘』(海堂尊監修)より抜粋。※肩書・役職・年齢等は2011年の取材時のものです)

 ***

 あの震災から二カ月、壊れたままだった防災サイレンが、再び大槌町に鳴り響いたのは五月一一日午後二時四六分のことでした。

 寺野体育館の弓道場に避難している町民はもちろん、隣の野球場を救援活動のベースキャンプにしている自衛隊の人たちも、そろって黙祷(もくとう)を捧(ささ)げました。あのときほどサイレンが物悲しく聞こえたことはなかったです。

 大槌町のすべてを津波がさらっただけでなく、その直後の火災が焼き尽くしてしまった。JR山田線の大槌駅だって駅舎どころか線路も流されてしまいました。大槌には何も残ってないんです。見渡す限り瓦礫(がれき)と焼け跡です。

 かろうじて建物の形だけ留めた町役場の時計は、二時五〇分のまま止まっている。役所前の駐車場で、災害対策会議を開いていた加藤宏暉(こうき)町長は遺体で見つかりました。いや、町長だけでなく、一五〇〇〇人ほどの町民のうち死者七七九人で行方不明九五二人(岩手県災害対策本部調べ、二〇一一年六月一〇日時点)。むごいことになってしまいました。

 今さらのようにつくづく思うけど、人間の一生って何なのでしょうね。生きていることの意味って何なのだろうな。人間の存在のちっぽけさを、大槌町の、いや日本中の人たちが誰もがわが身のこととして感じているんじゃないでしょうか。 本文:17,981文字 写真:10枚 ...

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(インタビュー・構成 増田晶文)

最終更新:3/1(金) 11:00
記事提供期間:2019/3/1(金)~10/27(日)
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