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「ご飯論法」が新語・流行語大賞トップテンに選出されるまで<短期集中連載・「言葉」から見る平成政治史>

3/3(日) 8:31配信

HARBOR BUSINESS Online

 平成の30年を通じて多くの制度変更が行われ、それと同等かそれ以上に政治と社会の距離感は大きく変貌を遂げた。

⇒【画像】変容する政治とメディアの関係を表整理

 政治も確実に社会に対する向き合い方を変えているし、社会の政治に対する構えも変わった。政治とカネに対する反省を契機に導入された小選挙区制やそもそもの自民党に対する積年の反感もあり、包括政党としての多様性と多元性、党内の競争関係を有する自民党に規模の小さな野党が複数存在対峙する55年体制の構図は平成冒頭をもって姿を消した。

 ただし同等の勢力の政党が切磋琢磨する二大政党制へという制度変更当時の意図は未だ完成には至らない。かといって、新しい政治の習慣やルールが定説というほどに根付くわけでもなく、平成の政治は試行錯誤の連続であった。

「反権力」に代表される権力批判やその擁護すら、市井の水準では自明のものでなくなりつつあるかのようだ。政治(家)を擬人化し、性善説に立とうとしてみたり、本来性質が異なるビジネスの比喩、とくに素朴な費用対効果を当てはめてみたりといった事例も散見される。

 同時に「反権力」の分散は野党の支持基盤の脆弱さと無関係でもなさそうだ。かつては学生運動や冷戦の影響もあり、若年世代の反体制は所与のものとみなすことができそれらの論点も比較的明確だった。1989年のベルリンの壁崩壊と旧ソ連邦解体以後、第2次世界大戦後長く世界を二分してきた比較的単純な理解の構図が失われた。理念はさておき、実質的に日本がアメリカの代表される西側諸国に属していることの利点が自明であった時代もまた終わりを告げた。

◆「権力と反権力」の衰退、「過剰な現実主義」の台頭

 最近はどうか。世界の複雑性は格段に増加した。国家と非国家が対峙する非対称戦やテロが頻発するが、因果関係は極めて複雑だ。また同盟国としてのアメリカはこれまで以上に露骨に自国の利益を日本にも押し付けてくるようになった。声高に中国、ロシアの脅威が喧伝されるが、さすがにアメリカのリスクに目を瞑ったままというわけにもいかないだろう。

 複雑化する状況のなかで、政治の既定路線があり、若い世代はその既定路線への反発も含めて「理想」と「反権力」を模索するという、やはりわかりやすい図式はあまり若い世代に訴求しなくなりつつあるかのようだ。

 若い世代の政権支持傾向は年長世代を上回っているし、投票率の落ち込みも目立つ。若年世代の投票率の低さはかねてから存在したが、しかし平成末期と1970年台の20代の投票率を比較すると、概ね半分程度の水準だ。ただし世論調査などでも見られるように、政治や政治的なものに対する不信感はいまも根強く存在し、それと対になってかつて丸山眞男が警鐘を鳴らした過剰な「現実主義」が幅を利かせている。

 丸山眞男は「現実主義の陥穽」などを通して、日本における現実主義は政治の既定路線の肯定に結びつきがちで、「他のあり方」に対する想像力と選択肢を毀損しがちだと述べた。平成とポスト平成の現実主義は過剰に対案を要求することで、オルタナティブへの思考を許さない狭隘なものになりつつあるようにも思われる。

◆人々の「政治との接点」の変貌

 多くの人が政治について接触するのはメディアを通してだが、その存在感の軸足はマスメディアからネットへと変わろうとしている。政治報道の中心であった新聞の凋落は発行部数、信頼感ともに著しい。新聞「紙」は若い世代にはほとんど訴求しなくなりつつあるといってもよいし、変化を巻き戻すこともおそらくは不可能だ。

 ネット、なかでも最近のSNSやソーシャルメディアは従来型のマスメディアと比較すると速報性、双方向性、多様な拡散性の点で秀でている。リアルタイムな発信が可能で、受け手と送り手のやり取りが可能で、さらに送り手の意図を遥かに越えた多様な広がりを見せるようになった。

 現在では政治は一方的に批評される存在ではなくなった。世論や社会に訴求する主要な手段がマスメディアしかなかった時代には政治はマスメディアに対してある種の遠慮を見せていた。現在ではマスメディアに対する配慮は失われるとともに、強いプレッシャーを加え、従来とは異なった向き合い方を見せるようになってきた。政治家や政党はインターネットやSNSを通して直接社会にメッセージを発信し、場合によっては反論を行うようになった。政治は多くのコストをかけ、戦略と戦術、組織を活用する。言いたいことに対して、いっそう貪欲になった。

 1989年から2019年まで続いた平成の30年間の改革についてはすでに多くの研究、評論、総括がなされている。

 その一方で社会が政治をどのように捉えてきたのか、社会と政治の関係性はいかなるものだったのかという点についてはあまり検討されていない。

◆「平成の政治」とはなんだったのか?

 「平成政治」というと選挙制度改革、行財政改革、非自民政権への政権交代、自衛隊の海外派遣、国民投票法の成立、安倍長期政権、憲法解釈変更といった具体的な「改革」が思い浮かぶが、これらはあくまで政治システムの内的な変更である。

 もちろんこれらは大きな変更であった。しかし平成の間に変わったのは政治システムにとどまらないのではないか、というのが筆者の問題意識である。

 かつて卓越したジャーナリストのウォルター・リップマンはその著書『世論』を通して、固定観念(ステロタイプ)に依存したメディア的現実こそが「現実」として受け止められてしまう「疑似環境」論を提唱した。日本のように、現実政治と日常生活が注意深く隔離され、政治的なものがタブー視され忌避されがちな社会においては尚更のこと、政治というとき真っ先に想起されるのはメディア的政治のはずだ。分散こそ大きくなるものの、インターネット、そしてソーシャルメディアの時代においてもその傾向は変わらない。

 変貌した政治と社会の距離感、言い換えれば政治と社会のあいだを埋めるものはどのように概観できるのだろうか。メディアは大別すると形式と内容に分割することができるから、ひとつのアプローチはメディアへの注目だ。メディアが政治をどのように報じ、政治がまたメディアをどのように活用しているのかを知ろうとすることは形式への注目にあたる。

 『メディアと自民党』(角川書店、2015年)、『情報武装する政治』(KADOKAWA、2018年)などの仕事を通じて、筆者はインターネットの時代、とくにSNS活用が本格化する2010年代以後のそれらの問題に接近を試みてきた。自民党をはじめ野党のメディア活用状況とその変化を取り上げながら、政治や政党、個人の政治家の変化について論じた。

 その一方で異なるアプローチもありうることに気がついた。それが内容への注目であり、政治についていうなら政治を表現する言葉への注目である。平成という時代を通じて、社会は政治のどのような言葉に注目し、評価と批判を加えてきたのだろうか。

◆流行語となった「政治」にまつわる言葉

 このとき注目してみたいのが「『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン新語・流行語大賞」(以下、「新語・流行語大賞」)のなかの政治に関する言葉たちである。「新語・流行語大賞」は自由国民社が主催し1984年に始まった。毎年12月に『現代用語の基礎知識』収録の用語から自由国民社と大賞事務局がノミネート語を選出。選考委員会の手で表彰対象となるトップテン、年間大賞語が選ばれる。ここで取り上げられた言葉たちは、いつの時代も季節の風物詩として各種メディアでも取り上げられ話題になっている。

 たとえば直近の2018年のトップテンには「ご飯論法」が選ばれ、上西充子さん(法政大学キャリアデザイン学部教授)/紙屋高雪さん(ブロガー・漫画評論家)の両名が表彰されている。ご飯論法とは上西の言葉を借りれば、「朝ごはんは食べたか」という問いに対して、「ご飯は食べてません(パンは食べたけど)」と返答するような、意図的に論点をずらして野党の追及をかわそうとする最近の政治の答弁を表現したものであり、直接には加藤厚労大臣が念頭に置かれたものであった(参照:「『朝ごはんは食べたか』→『ご飯は食べてません(パンは食べたけど)』のような、加藤厚労大臣のかわし方」上西充子、2018年)。

 この「ご飯論法」の表彰理由は以下のとおりであった。

“裁量労働制に関する国会審議の中で加藤厚生労働大臣が行った、論点をすり替えたのらりくらりとした答弁をさして広まったのがご飯論法。加計学園問題で5月に参考人招致された柳瀬唯夫元秘書官、同じく加計学園問題について答弁する安倍晋三首相、森友学園問題で証人喚問に立った佐川宣寿前国税庁長官、その他巨大看板問題で追及を受ける片山さつき議員など、この「ご飯」は赤坂自民亭のメニューにあるのだろうか。さらに今年は「記憶にございません」の次世代フレーズ「刑事訴追の恐れがありますので差し控えます」も多用され、国民をあきれかえらせた。”(参照:「第35回 2018年 授賞語」)

 「ご飯論法」という言葉の直接の字面は、とても政治を表現した言葉だとは思えないが、最近のすっかり軽くなってしまった政治を巡る言葉のやり取りを見ていると確かに言い得て妙だと思える。その一方で「流行語」という面からすれば、少し時代が下るとおそらくは「ご飯論法」なる言葉が政治を表現した言葉であることなど、あっという間に忘れ去られてしまうのかもしれない。そうであるからこそ政治について2018年を振り返るという意味では、そして社会がどのように政治を捉えたのかという視点に拠って立つときには、こうした言葉の存在は看過できないはずだ。平成という時代を振り返るという意味では尚更だ。

 「新語・流行語大賞」で取り上げられる言葉たちというのは、時代時代をもっとも端的に彩る/彩った言葉たちである。そうであるがゆえに、あっという間に忘却されていってしまう。当然政治のみを強く意識したわけですらなく――むしろ政治的文脈は余興に過ぎない――、政治学や政界で正式に使われる「公式の政治の言葉」でもなく、いわば時代をもっとも鮮やかに切り取る「非公式の政治の言葉」なのである。

◆「平成」の4つの時代と「政治のことば」

 この「非公式の政治の言葉」群のなかから、平成元年つまり1989年から2018年までの期間に4つの時代区分を導入しながら、毎年ひとつ、ないしは複数の広義の政治に関する受賞語、ノミネート語を取り上げ、検討を加えることで平成政治を表現した「非公式の政治の言葉」を概観するというのがこの連載の狙いである。4つの時代区分とは1990年代、2000年~2009年、2009年~2012年、2012年~2018年という一見アンバランスな区分である。

 この区分は政治の変動と対応している。1990年代というのは昭和から平成の過渡期にあたる。1980年代の政治とカネの問題に端を発し、政治改革の必要性が自民党内部からも提唱され、選挙制度改革と非自民連立政権の誕生に結実し、長く続いた政治の五五年体制が終わりを迎えた。

 1996年には初の小選挙区比例代表並立制を取り入れた衆議院議員総選挙が実施されるとともに、自民党連立政権が復帰し、1998年には現在の一府一二省庁制につながる中央省庁等改革基本法が成立する。平成政治の土台と基調が明確になるのがこの時期であった。

 そして2000年代において、「自民党をぶっ壊す」と言った小泉純一郎率いる「新しい」自民党は派閥よりも世論を味方につける新しい政治路線を採用した。だが小泉路線の踏襲は難しかったのか、その後は短命政権が続き、2009年9月には鳩山由紀夫が率いた民主党政権への政権交代が起きる。2000年から民主党への政権交代までを第2期として扱う。

 この民主党政権の時期を第3期とする。民主党は2000年代を通じて支持を拡大し、多くの新しい試みを政治の世界に持ち込もうとした。それらは幸か不幸か民主党政権のもとでは花開かなかったが、その一部は2012年12月の第46回衆議院議員総選挙を経へ再び政権の座に帰り着いた第2次以後の安倍政権で具体化することになった。第2次安倍政権から現在に至る時期を第4期として取り扱う。

 なおこの4つの時代区分の背景には、政治とメディアに関する3つの時代区分が重なっている。

◆「政治とメディア」に関する3つの時代区分

 拙著『メディアと自民党』(角川書店)、『情報武装する政治』(KADOKAWA)では近年の政治とメディアの関係性の変容と、2013年の公職選挙法改正に伴う広範なインターネット選挙運動が認められるようになった状況に対する政党の対応過程、ジャーナリズムの変化等を論じながら、これまでの拙著のなかでおよそ20年の自民党を中心とした日本政治とメディアの関係性がお互いに文脈を共有し緊張関係を有しながらも融通し合う「慣れ親しみの関係」から、相互に直接的な影響力を行使しようとする「対立・コントロール関係」への移行に言及した。

 小選挙区制の導入、インターネットメディアとモバイル化の進展、すなわちソーシャルメディア時代の政治の情報環境、メディアとの力学の変化にいち早く対応したのは自民党であって、本来挑戦者であるはずの野党ではなかった。また2000年代において、試行錯誤を試みたのも途中野党経験を積む自民党だった。失敗をバネに新しいメディア環境への適応を試み、メディア、なかでもネットに流通する言葉――非言語の情報発信を含む――の開発に注力する。未だ自民党には及ばないものの各政党も同様の戦略、戦術、組織の開発に注力する。かくして平成の時代を通して政治の情報発信の戦略と戦術は洗練され、いっそうスマートなイメージと言葉を使うようになった。ただし、それらは取り繕われたものでもあり、しばしば綻びが生じているようでもある。先の政権を中心に据えた4つの時代区分と、政治とメディアの関係を念頭に置いた3つの区分は重複している箇所と重複しない箇所があるが、通底する問題意識として共有したい。

 なおここで取り上げる「広義の政治に関する語」とは、厳密には経済や行政に関わる場合も含めて相当程度広義に捉えたい。なかでも政治を映す鏡という意味では、度々メディアに関する用語に言及することになる。

 また単に用語を解説するにとどまらず、その後どのように展開したのか、時代の端境期から捉え直すとどのような連続性を持ったのか/持たなかったのかということに言及する。

「公式の政治の言葉」について知りたければ、例えば各々の政権の所信表明演説を紐解けばよい。しかし前述した社会と政治の関係性とその総体や変容に注目し、平成の政治、なかでも連続した社会における政治の捉えられ方のようなものに関心を向けるとき、それらの非公式な政治の言葉が時々の時代において一瞬で消費され、その後顧みられなくなっているものが少なくないとしても、そうであるからこそ連続的に並べて眺め直すことで、社会から眼差した政治の一側面を把握することができるのではないか。

◆「亥年選挙」の年に

 ここで遠く念頭に置かれているのは、卓越した政治記者として知られた朝日新聞社の石川真澄記者の、かつての『朝日ジャーナル』での連載をまとめた『政治のことば』という一冊の書籍である(石川真澄『政治のことば 状況の奥を読む』朝日新聞社、1987年)。

 石川記者といえば「亥年選挙」という亥年の与党苦戦を説明する経験的な仮説の提唱者としても知られている。統一地方選挙は4年に一度実施され、参議院選挙は3年毎に半数ずつ改選され、両者は12年に一度の亥年に同じ年に実施されることになるが、組織依存度の高い政党は一年間に二度組織を動かさすため組織が疲弊するのではないかという仮説を提唱した。

 平成が終わり、次の元号のもと新しい時代が始まる2019年はまさに亥年選挙の年でもある。亥年選挙風にいうなら、4月の統一地方選挙とともに平成は幕を下ろし、今夏の参議院選挙とともにポスト平成の時代を迎えることになる。

『政治のことば』の頁をめくると、石川記者は政治記者として深く政治のインナーサークルに属した知見を活かしながら、「保守本流」や「派閥」「解散権」といった数多の政治の公式の言葉を時代に寄り添いながら平易に紐解いたことがわかる。こうした石川記者の手腕に敬意を払い頭のすみに置きながら、次回以後具体的に平成政治を表現した非公式の言葉の数々を紐解いてみたい。

<文/西田亮介>

にしだ りょうすけ●1983年、京都生まれ。慶応義塾大学卒。博士(政策・メディア)。専門は社会学、情報社会論と公共政策。立命館大学特別招聘准教授等を経て、2015年9月東京工業大学着任。18年4月より同リーダーシップ教育院准教授。著書に『メディアと自民党』(角川新書)、『なぜ政治はわかりにくいのか』(春秋社)など

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最終更新:3/8(金) 20:13
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