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派遣社員ブームに乗せられた40代の苦境「時給2500円だったのが1100円に…」

3/4(月) 9:00配信

週刊SPA!

「昔は『ハケンの品格』なんてドラマもありましたよね。ほんの一瞬ですが、ハケンっていいかもって思えた時期もあったんですよ」

 日曜日の昼下がり、人気のないオフィス街の公園にいたのは大手企業に派遣され、SEとして働く文倉さん(仮名・40代)だ。夜勤明けの重たい瞼をこすりつつ、“ストロング酎ハイ”をチビチビ飲みながら「ハケンが輝いていた」という時代を懐かしむ。

 今、“派遣社員”と聞けば、「将来性がない」「給料が安い」などとネガティブなイメージをもつ人が多いかもしれない。だが、10年以上前、たしかに世間が彼らのような派遣社員を後押しした時代もあった。当時、派遣社員だった人たちは、「ハケンっていいかも」「別にハケンのままでもいいんだ」と自分に言い聞かせることができたのだ。そんな人たちの現在は……。

◆手取り20万以下から40万近くへ

「もともと印刷屋でデザイナーをやっていたんですが、2001年にアメリカで起きた『911テロ』以降の不景気で、給料も手取り20万いくかというヒドい状況で仕事をしていました。そしたら、2005年頃に会社がついに倒産。社長が面倒見のいい昔気質のおじさんだったから『全員の就職の世話をする!』と言ってくれて。でもまあ、結局いい働き口などなく、紹介されるがままに派遣会社に登録したんです。

 パソコンが使えるなら経験不要――ということで、最初に派遣されたのが大手通信系企業の子会社でした。SEの知識はゼロでしたが、文字通り社員さんが一から教えてくれて、時給は2500円。毎日残業が必ず2時間ほどあるので、月に40万円近くもらえることもあったんです。それで、これはすごい! と思った」(文倉さん)

 デザイナー時代は手取り十数万、ボーナスなしで残業の雨嵐という会社で働いていた文倉さんにとって、派遣社員はまさに天国だった。

 時は2007年。テレビではちょうど『ハケンの品格』(日本テレビ)なるドラマの放送も始まっていた。派遣社員の敏腕女性が、日本社会の古い慣習に捉われることなく、プロフェッショナルとして仕事をバリバリこなし、内外で認められていく……。

 派遣法の改正もあり、派遣社員の数は急増。政府が「自由な働き方ができる」などと説明すれば、「派遣で働く」という選択肢は、これまでにない全く新しい働き方かもしれない、こう思った人も少なくなかったのである。もちろん当時、野党からは「派遣などといって、経営者側に都合のよい奴隷契約」などという指摘もあった。一部マスコミも派遣法改正について否定的な報道をしたが、実際に派遣として働いていた人々にとっては「給料もそこそこもらえるし……」という感覚があったのだ。

◆あれから10年以上、現在も派遣社員のまま…

 順風満帆に思えたが、数年後に現実を知ることになる。

「自分が“ハケン”であることをいつの間にか忘れていたんです。30代に突入し、永遠に続くと思っていた派遣先との契約が切られたんです。いや、その時も特に危機感は持ちませんでした。同じような条件で働けるところはいくらでもあるだろう、ってくらいで」(同上)

 好条件の次の派遣先が見つかるまで……と、軽い気持ちで工場内軽作業のバイトなどをこなしながらやり繰りしていたが、待てど暮らせど、前派遣先のような好条件の職場は見つからなかった。というよりも、所属する派遣会社からはあからさまに年齢のことを指摘され、「若い人じゃないと派遣先が受け入れてくれない」と切り捨てられた。

 紹介されるのは時給1500円程度の派遣先ばかり。残業も見込めず、これでは極貧の印刷会社社員時代に戻ってしまう。ただ、そう気がついた時には、時すでに遅し。30代半ばを迎える頃には、より高度な技術を持っているか、せめて20代の若者でないと採用しない、という企業ばかりになってしまい、文倉さんは「あぶれて」しまったのだ。

「貯蓄もほとんどなく、所属派遣会社に泣きついて、とにかく食うためにと1か月程度の短期で現場をグルグル回っていました。最初はSEの技術を活かせる現場が多かったのですが、次第に倉庫や工場の作業、引っ越し、警備とだんだん仕事の内容が変わっていきました。派遣会社にとっては都合のよい人間ということだったんでしょう。でも文句を言う暇もない。ちょうどその頃、結婚し子どもが生まれたので、目の前の仕事をこなして日銭を稼ぐしかなかったんです」(同上)

 こうして派遣社員のまま今に至る、というわけだ。肉体労働を黙々とこなしつつ、現在は大手企業のSE職に従事しているが、先行きは暗い。

「土日祝日の夜間帯担当、突発的なトラブルに対応するための要員として、なんとか今の会社に籍を置かせてもらっています。夜間帯なので時給はそこそこ良くて1800円くらいです。

 平日の昼間は相変わらず、運送会社の配送倉庫でバイトしています。年下の20代、中には10代のバイトリーダーから死ぬほど怒鳴られながらやってますよ。そこの時給は1100円。将来の不安よりも、明日の生活が心配で……ただ無心で働くしかない。子どもが間もなく中学生だし、今さら腰を据えて働ける職場を探している余裕すらありません。ハケンで稼げていた時期、まさかこういう将来を過ごすなんて想像すらできませんでした」(同上)

◆熟女キャバクラで働くしかない元美容部員

 同じく40代の元派遣社員女性・松本さん(仮名・東京在住)も、派遣で一瞬いい思いをしたために、「人生を棒に振ったのかもしれない」と思い悩む。

「大学卒業後、大手化粧品会社の美容部員になりました。デパートの化粧品売り場などで数年働いて、お世話になった先輩が独立し、美容部員専門の派遣会社を立ち上げるというので一緒についていったんです」(松本さん)

 最初の2~3年は、社員美容部員時代の1.5倍もの給与をもらった。さまざまな現場を経験し、知識も技術も得ることができた。派遣会社内では、若手を指導するリーダーとして地位を確立し、かつての年俸の2倍を稼いだ年だってあった。ところが、である。

「やはり30代を過ぎた頃、現場からお声がかからなくなってしまいました。懇願して現場に入っても『30代のベテランに払える給料はない』などと忌避されて……。以前のように、高額な派遣美容部員の給与も支払われなくなり、派遣会社に登録する若い子自体が減ってしまったんです。教育する部下もおらず、私が出るしかない。ところが現場では『あんなおばさんが来た』と陰口を叩かれ、もちろん報酬も買い叩かれ……。自分に自信がなくなり、体調も崩して結局退職。気がついた時には40歳。美容部員以外の仕事の経験はなく、私には本当に何も残っていないんだと愕然としました」(同上)

◆“あの頃”の選択は間違っていたのか…

 体調を回復させるため、中部地方の実家に帰ったが、家族との喧嘩も絶えず、結局は東京に戻ってきた。しかし、仕事はない。

「同じような境遇の元派遣美容部員の友人のすすめで、熟女キャバクラで働き始めました。時給は2000円。毎日入れば月に40万円程度は稼げます。ただ、50近くになれば、給与も出勤回数も減らされるそうです。実は、今働いているのもキャバクラ向けの派遣会社。会社からは風俗へ行けとも迫られています。これがハケンの行き着く先か、と。もう少し、将来のことを考える機会があれば違ったのかなって。もう何もかも遅いですけどね」(同上)

 派遣で働き、派遣に夢を見た男女。もちろん、今も派遣としてバリバリ働き、社会に貢献している人もいるが、2人の表情は暗い。だが、その選択が間違っていたと、浅はかだったと、一方的に言うことはできないだろう。

 そもそも「派遣」そのものが、起業家や大企業による労働力の搾取といった指摘もあるわけだが、それもこれも「時代」のせいだろうか。働き方改革などと喧伝される一方で、こうした人々に光が当たるようになるまで、あとどれくらいの時間がかかるのだろうか。<取材・文/山口準>

日刊SPA!

最終更新:3/4(月) 9:00
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