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【東日本大震災、医師たちの奮闘】震災直後に現地へ駆けつけ、災害時の体制づくりの架け橋となってきた救急救命医が語る3.11 【千葉県市原市 五井病院理事長 川越一男医師】

3/5(火) 11:00配信 有料

デイリー新潮

【東日本大震災、医師たちの奮闘】震災直後に現地へ駆けつけ、災害時の体制づくりの架け橋となってきた救急救命医が語る3.11 【千葉県市原市 五井病院理事長 川越一男医師】

 東日本大震災から今年で8年が経過する。未だあの日の記憶を鮮明に覚えている方は多いだろう。M9という観測史上最大の地震に加え、私たちの想像をはるかに超える大津波。死者、行方不明者合わせて1万8千人を超える未曾有の被害をもたらした大震災だが、そこでは多くの人々が「生きる」ために奮闘したことも忘れてはいけないだろう。命の可能性を信じ続けた医師のドキュメンタリーをシリーズでお届けする。

 第7回は、今回の大震災後、最も早く被災地に駆けつけた医師の一人である川越一男(かわごえ・かずお)さん。2011年当時は、千葉県市原市の医療法人芙蓉会五井病院の理事長を務め、救命救急医として緊急時の医療に取り組んでいた。震災発生五日後の三月十六日には、岩手へ医療支援へ向った(以下、『救命 東日本大震災、医師たちの奮闘』(海堂尊監修)より抜粋。※肩書・役職・年齢等は2011年の取材時のものです)

 ***

■「頑張ろう」なんて、とても言えない
 十六日の正午頃、僕は病院の救急車を運転し、ワンボックスカーと二台で千葉を発(た)ちました。高速湾岸線から中央環状線、そして東北自動車道へ。途中、那須(なす)高原と紫波(しわ)サービスエリアで給油をしましたが、東北自動車道は思ったより被害を受けていなかったのでスムーズに走れ、約七時間で盛岡に到着しました。

 盛岡の街は地震の影響もほとんどなく、岩手県医師会からは「県立釜石(かまいし)病院へ行って、そこの先生の指示で動いてください」と言われました。その夜は盛岡で一泊し、翌朝、釜石へ。夜半から降り出した雪はやんでいたけれど、盛岡から山間を抜けていくと、遠野の辺りは一面が雪景色になっていました。北上高原を越えて沿岸部へと車を走らせ、ようやく釜石病院に到着したのは午前十時頃でした。

 病院の建物は山の方にあるので、津波の影響はまったく受けておらず、電気が通じて、水も出ていました。途中にあった避難所の小学校ではグラウンドに自衛隊のテントなどが並んでいたけれど、地震で倒壊している家屋もほとんど見かけなかったのです。釜石病院では医療対策本部を立ち上げ、すでに入院患者の多くを後方の病院へ転院させ、救急で運ばれてくる患者の治療を優先して行っていました。僕らは院長先生とお話をして、その指示で避難所回りをすることになったのです。

 最初は車で山間部をまわり、「これから海の方の避難所へ行きましょう」と言われて、釜石湾の沿岸部へ向かいました。すると、新日鉄釜石の工場の手前に小さな川があるのですが、その川を越えたとたんに、いきなり瓦礫(がれき)の山が現れたのです。

 津波に襲われたところと、波が来ていないところでは、まるで景色が違っていました。津波にさらわれた跡には至るところに乗用車が転がっていて、流された家屋の瓦礫が山積みになっていた。ところが、波が来ていないところは何事もなく、もとは同じ集落だったことを思うと、あまりの落差に驚きました。 本文:17,701文字 写真:11枚 ...

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著者 (インタビュー・構成 歌代幸子)

最終更新:3/5(火) 11:00
記事提供期間:2019/3/5(火)~10/31(木)
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