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日本人は何を信じてきたのか:青森の“キリストの墓”が意味するもの

3/7(木) 15:04配信

nippon.com

偽書によって発見された“キリストの墓”

なぜ青森に“キリストの墓”があるのだろうか。話は戦前にさかのぼる。1934年、戸来村の村長の要請で、日本画家・鳥谷幡山(とや・ばんざん)が十和田湖周辺の調査に訪れる。当時、十和田湖周辺を国立公園に指定する動きがあり、戸来村に属する迷ヶ平(まよがたい)が十和田湖と深い関係があることを宣伝するため、いわば広告塔として鳥谷は招かれた。そしてこの頃、鳥谷が親しんでいたのが『竹内文書』と呼ばれる有名な偽書である。

竹内文書は、宗教家・竹内巨麿(きょまろ、1875~1965)の家に伝わる文書とされる。特殊な文字で著され、神武天皇以前の歴史など、一般に知られていない真の歴史が書かれているというが、おそらく巨麿の創作だ。竹内文書によれば、釈迦(しゃか)、孔子、孟子、モーセなども日本で修行したという。近代以前に日本が長く劣等感を覚えてきた中国、そして近代以後は日本が常に後塵(こうじん)を拝した欧米文明の根源が古代日本にあったと主張するのだ。

35年夏、鳥谷の要請で巨麿本人が戸来村の調査にやって来る。そして、当時「墓所舘(はかどこだて)」と呼ばれていた丘の上で“キリストの墓”を発見する。巨麿は二つの丸い塚の前で黙祷(もくとう)し、「やはりここだ、ここだ!」と叫んだという。

キリスト伝承は新郷村の中で受け継がれてきたものではない。ある村職員によると、かつて村おこしのため、キリスト伝承に関わる物品の提供を頼んで回ったが、戦前戦中を村で過ごした人の中には、「“キリストの墓”がある村の者」ということで嫌な目にあったせいか、一切関わりを持とうとしなかった人もいたという。敗戦後、この墓はしばらく忘れられた場所になる。

奇祭として脚光を浴びる「キリスト祭」

この墓が再び注目されるのは1970年代のオカルト・ブーム以降だ。オカルト雑誌や伝奇小説で、“キリストの墓”はたびたび取り上げられる。村にはキリスト教徒もおらず、その点でも、いろいろと使いやすかったのだろう。高橋克彦、斎藤栄といった著名な作家たちも創作に用いている。

1964年からは毎年初夏に「キリスト祭」が開催されている。当初は村の商工会、その後は観光協会を中心に運営されている。祭りは神道式で行われる。神主が墓に向かって祝詞をあげ、来賓が玉串奉奠(ほうてん)を行う。与野党の政治家も参列する。地元の民俗芸能である田中獅子舞が、そして墓を囲んで村に伝わる盆踊り「ナニャドヤラ」が奉納され、祭りはクライマックスに達する。

大きな十字架の周りで着物姿の女性たちが盆踊りを踊るのは、かなりインパクトがある。キリスト祭はテレビ番組やガイドブックで日本有数の奇祭として取り上げられ、特に2000年代以降はSNSで拡散されて、新郷村はB級観光地として全国的に知られるようになった。祭りには毎年数百人の観光客がつめかける。人口2500人程度の村にとってはかなりの数である。

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最終更新:3/7(木) 15:04
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