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日本育ちの「日台ハーフ」が初の台湾長期生活で経験した驚きと戸惑い

3/14(木) 11:02配信

nippon.com

岡野 翔太

台湾に「帰る」と表現してきた私

日台「ハーフ」(※ミックスやダブルという言葉もあるが、筆者は自分自身を指す場合「ハーフ」になじみがあるのでこれを使用する)の筆者にとって、日本と台湾は常に「帰る」場所である。

日本に生まれ、日本で育ち、日本に家がある。でも、父親は台湾人で、台湾には祖父は叔父、叔母、それにいとこたちがたくさん暮らしている。子どもの頃より、日本から台湾には「行く」ではなく「帰る」という言葉を使って台湾へ向かうことを表現していた。

台湾に帰ったとき、父が実家で話す言葉はもっぱら台湾語であった。生活の基盤が日本にあり、さらに母が日本人で父が外国人となると、家庭内の言葉は日本語が主流となってしまう。そのため、筆者が幼少の頃は日本語しか話すことができず、台湾語は自分の好きな食べ物の名前しか理解することができなかった。

小学校に上がる頃、「中国語が話せた方がいい」という親の判断から近くの中華学校に通うこととなった。日本には台湾(中華民国)系と中国(中華人民共和国)系の中華学校があるが、筆者の生まれ育った神戸には中国系の中華学校しかない。父は、中国系の学校に通わせることに難色を示していたというが、大阪にある台湾系の中華学校は家からは遠く、小学校低学年から一人で通学できるような距離ではなかった。そのため、筆者は神戸にある中華学校に通うこととなった。

学校で習う漢字は全て中国で使っている簡体字である。小学校に入っても、都合が付けば家族で台湾に里帰りしていたため、学校で見る漢字と台湾で見る漢字(繁体字)がどうも違うことに気が付き始めた。また、父も家でよく台湾の話をしていたこともあり、学校で習う中国や台湾と父の話とでは明らかに違うことにも気になっていた。

極端ではあるが、例えるなら大韓民国からやってきた人の子どもが朝鮮民主主義人民共和国系の朝鮮学校に通うような感じであろうか。

いろいろとあったものの、中華学校に入って良かったのは中国語を話すことができるようになったことである。しかし、いかんせん日本で生まれ育ったため、自分の話す中国語にはなまりがあり、現地の人のようにまくしたててしゃべることはできない。それでも、台湾の友人に言わせれば、成人してから中国語を学習した人よりは、「日本人なまり」なくしゃべっているという。

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最終更新:3/14(木) 11:02
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