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【月刊『WiLL』(4月号)より】カシュガル空港 臓器専用通路とは

3/14(木) 11:24配信

WiLL

唾液・尿・血液を…

 前号に続き、ロンドンで開設中の「中国の強制臓器収奪に関する民衆法廷」の模様を報告したい。
 昨年末の第一回公聴会で、民衆法廷は「全会一致をもって、まったく疑いの余地なく、中国では強制臓器収奪が行われてきたことを確信する」──と、異例の中間報告を出した。次々と法廷に立った証人たちの証言から浮かび上がったのは、無実の罪で囚われた法輪功信徒たちに襲いかかる強制臓器収奪の恐怖とともに、現在、強制収容所が林立するウイグル自治区で中国共産党当局が強行する容赦ない民族浄化の実態だった。
 一日目、カザフスタン国籍のウイグル人、ジョージ・カリミ氏に続き、二日目の第三セッションでも、やはりウイグル人のアブドゥウェリー・アユプ氏が証言台に立った。現在はトルコ在住で一九七三年カシュガル生まれのアユプ氏はアメリカに学び、言語学の修士課程を修了したが、帰国後にウイグル語を使う幼稚園を開いたとの容疑で逮捕され、投獄された。一旦は釈放されるが、以後、逮捕と保釈を繰り返すことになる。
 以下、アユプ氏の証言。

アユプ 二度目の逮捕は二〇一四年十二月でした。警察は私に屈辱を味わわせるため、大便まみれの便器を洗うよう命じました。三度目は翌年七月、武装警察のチームが三十分ほど、殴る蹴るの暴行を加え、その後、六時間ほど監房に投げ込まれました。この時の恐怖から、以来、夜まともに眠ることができません。また捕まって拷問されるのではないかと、常に神経が高ぶって眠れないのです。
 翌月にはカシュガルから強制退去を命じられました。つまり、故郷を追い出されたのです。腕を背中に回され、手錠を掛けられ、頭巾を被せられた上で警察の車に押し込まれました。警察署に行くと「タイガーベンチ」と呼ばれる尋問用の椅子に座らされ、手首、足首、頸を鎖で固定されました。尋問中は手のひらを開いているよう命じられ、終始、木の棒で叩かれ続けました。そして、犯してもいない罪を認めよ──と、脅されました。
 しかし、叩かれても、威嚇されても、私は何も認めませんでした。夜になると留置場に連行され、そこで裸にされました。そこには殺人や強盗などの凶悪犯が詰め込まれていて、二十人ばかりが寄ってたかって私を強姦しました。蓋のない便器があり、耐え難い悪臭を放っていました。
 ウルムチの警察署に搬送されたのは翌日です。夜九時頃に到着しました。再び「タイガーベンチ」に縛り付けられ、尋問が開始されました。腕や肩を殴打され、ふたたび口汚い言葉で脅迫されたのです。
 その後、病院に連れて行かれました。頭巾を被せられていたので病院の名前はわかりません。執拗な身体検査を受けさせられました。X線を撮られ、唾液・尿・血液を採取され、冷たいジェルを塗られた上で、あちこちの臓器を検査されたようでした。
 その後、テンタリフ留置場に連行され、したたか殴打された揚げ句、監房へ放り込まれました。房は小さく、ガラスでできていました。留置場の用語では「3Dの監視」と呼ばれていました。ここにも二十人ほどのウイグル人がいました。私を含め、三人が政治犯でした。留置場全体では、六割がウイグル人、四割が中国人だったと思います。
 しつこく訊かれたのは、「なぜ、アメリカから戻った? そして、誰がお前をここに送り込んだのか」──ということでした。他に、ウイグルの地下組織や国際機関との関係も執拗に問い質されました。
 テンタリフでは死刑囚との同房はありませんでした。しかし、リウダワン監獄に移送された後、アブドゥラフマンというグルジア出身のウイグル人死刑囚と同じ房に入れられました。九月十日のことでした。
 釈放後に問い合わせると、アブドゥラフマンは十二月に処刑された、とのことでした。しかし、遺体は家族のもとへは返還されず、刑務所が管理するグルサイ墓地というところに入れられたと聞きました。ひと月ほど後、家族が墓のまわりに花を植えたいと申し出たところ、一年間は墓の周囲の土を乱すことは許されない──と、拒絶されたとのことです。きっとアブドゥラフマンは臓器を抜き取られていたからだ──私はそう確信しています。埋葬の際、家族は彼の顔を見ることは許されましたが、体を洗いたいという申し出は、これまた拒絶されました。

《続きは本誌にて》

野村旗守(著作家)

最終更新:3/14(木) 11:24
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