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コロンビアでバルデラマと“共演”した日本人DF 中南米を渡り歩いた波瀾万丈のキャリア

3/16(土) 19:30配信

Football ZONE web

昨年限りで現役を引退した山中敦史 パラグアイから始まった海外挑戦

 中南米を舞台にプロサッカー選手として挑戦を続け、2018年にスパイクを脱いだ日本人選手がいる。日本代表MF柴崎岳や同MF宇佐美貴史と同学年の、1992年生まれの26歳DF山中敦史。主に左サイドバックとしてプレーし、中学時代はガンバ大阪の門真ジュニアユースに所属していた。高校時代は地元大阪の枚方のクラブチームでプレーを続け、大学進学後は大阪府リーグの社会人チームでプレーしていた。だが、大学を1年で中退。アルバイトをしてお金を貯め、パラグアイへと飛び立った。

「ガンバのジュニアユース時代には、ほかの選手よりも上手くなくて、人一倍練習していました。とにかく毎日が必死でした。当時は海外に行くことは考えていなかった。でも大学に進学し、本当に自分がやりたいことはなんだろうと考えた時、小さい頃からプロサッカー選手になりたかったという夢が捨てきれなかった。それなら、思い切ってチャレンジしてみようと思ったんです」

 大学に進学した2011年。テレビでコパ・アメリカ(南米選手権)の試合を見て、個人技のレベルが高い南米サッカーの虜になった。

「当時、パラグアイが強くて、コパ・アメリカでも決勝まで行った。華麗なサッカーではないけれど、強いサッカーに魅了されたんです」

 パラグアイは同大会で、ブラジル、ベネズエラ、エクアドルと同組だったグループリーグを、3引き分けの3位で決勝トーナメントに進出。準々決勝でブラジル、準決勝でベネズエラを0-0のPK戦の末に下した。決勝はウルグアイに0-3で敗れたが、山中にとって前年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)でも決勝トーナメント1回戦で日本をPK戦で破って8強に進出するなど、FWロケ・サンタクルスを中心としたパラグアイのサッカーが頭から離れなかった。大学を中退した山中は、迷うことなくパラグアイ行きを決意。サッカー留学機関を通じ、地球の裏側へと飛び立った。

 最初にぶつかったのは言葉の壁だった。スペイン語を公用語とするパラグアイ。パラグアイリーグ4部のクラブ・アトレティコ・フベントゥに所属することになった山中だったが、「日本とはサッカーが違うし、監督が言っていることも分からない。ホームシックにはならなかったけど、戸惑いはありました」と当時を振り返る。

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最終更新:3/16(土) 22:46
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