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倉本聰が貫くこだわり 台詞を変えた寺尾聰を二度と起用せず

3/17(日) 7:00配信

NEWS ポストセブン

『北の国から』(フジテレビ系)をはじめとする数々の名作を生み出してきたドラマ界の巨匠・倉本聰氏(84才)。4月から始まる“昼ドラ”『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)の脚本を手がけることでも話題を集めている。倉本氏が約60年も脚本家として活躍を続けられるのはなぜか――。このほど、倉本氏と共著『ドラマへの遺言』(新潮社)を上梓した、元テレビプロデューサーで上智大学文学部教授(メディア文化論)の碓井広義さんが、倉本氏のスゴさを物語る数々のエピソードを明かしてくれた。碓井さんは36年間、倉本氏に師事してきた“愛弟子”だ。

【写真】富良野にある倉本聰宅の室内は広すぎ!

◇一字一句へのこだわり

 ドラマ制作では、撮影の前に出演者を集めて、初めから終わりまで脚本の読み合わせをする“本読み”が行われる。一般的に脚本家はあまり顔を出さないものだが、倉本氏は積極的に参加することで知られる。
 
「書いた言葉が役者さんに通じているか。表現のニュアンスの違いや要望を、倉本先生は直接役者さんに伝えます。これが世にいう“倉本聰の本読み”。その姿を見て、脚本がドラマの生命線なんだと改めて学びました。制作陣と役者に対する厳しい姿勢の根底にあるのは、いいドラマを作りたいという思いです」(碓井さん・以下同)

『優しい時間』(フジテレビ系、2005年)の最終回で、寺尾聰が「よう」という台詞を「やあ」に変えたことがあった。ニュアンスを軽視されたショックから、それ以来、倉本氏は寺尾を起用しなくなったという。倉本氏の一字一句への強いこだわりを感じさせるエピソードだ。

 しかし、そのこだわりが騒動に発展したこともあった。1974年放送のNHK大河ドラマ『勝海舟』では、脚本家の演出領域への関与の是非をめぐって問題がこじれ、倉本氏は脚本を途中降板した。大河ドラマ脚本家の降板劇は当時、大きく報じられ、倉本氏も批判された。

◇リアルさを追求

 倉本氏が北海道・富良野市に移住したのは、この降板劇から3年後、1977年のことだった。倉本氏が住むと決めた場所は荒れた森で、電気はなく、水は自力で沢から引いた。倉本氏の代表作『北の国から』には、こうした体験がふんだんに盛り込まれている。

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最終更新:3/17(日) 7:00
NEWS ポストセブン

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