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高橋一三 日本ハムの“左腕王国”を支えたV9の左腕エース/プロ野球1980年代の名選手

3/19(火) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

V9の左腕エースが日本ハムで復活

「遅い球で投げて、最後にインコースへピッと(速い球を)投げると結構、見逃しをするんですよ。せいぜい1打席に1球ですけどね」

 遅い球で投球を組み立てて、ときどき速い球を投げる緩急の“逆転の発想”が復活を呼んだ。プロ17年目となる1981年に5年ぶり7度目の2ケタ14勝を挙げて、日本ハムをリーグ初優勝へと導いた高橋一三だ。

 ただ、豪快なフォームからの150キロを超える快速球とスクリューボールを駆使した巨人V9の左腕エースという印象のほうが強烈だろう。北川工高からV9の幕が開けた65年に巨人へ入団。高卒新人ながら4月15日の阪神戦(甲子園)で早くもデビューしたが、5月11日の広島戦(金沢兼六園)で2者連続本塁打を浴び、その後は二軍生活となる。そこで、兼任コーチだった藤田元司から「右打者の外角にシュートを投げてみろ」と言われ、いろいろ工夫しているうちに、落ちるシュートを習得した。当時はスクリューという言葉は日本球界に広まっておらず、71年の日米野球で、米球界の関係者に言われて分かったという。

 そして、翌66年から一軍に定着。フォークも習得した69年に15連勝を含む22勝で最多勝と沢村賞、自己最多の23勝を挙げた73年にも2度目の沢村賞に。ペナントレース、日本シリーズ合わせて8度の胴上げ投手にもなった。また、

「僕のメシの種だった」

 と語るように、特にライバルの阪神戦では通算34勝17敗と本領を発揮。最多勝の69年には無傷の7連勝、V9を決めた73年には最終戦の直接対決で完封勝利を飾っている。

「接戦が多かったし、村山(村山実)さん、江夏(江夏豊)、バッキーと、いい投手と投げ合うことが多かった。阪神戦に投げることで、投球術を磨き、鍛えられていったんだと思います」

 だが、V10の夢が潰えた74年は2勝11敗と大きく負け越し、急失速。最下位に終わった75年には6勝を挙げて復活の兆しを見せたが、オフに富田勝とともに張本勲とのトレードで日本ハムへ移籍する。

 移籍1年目の76年こそ10勝と結果を残したものの、その後は腰痛もあって低迷。ふたたび復活の兆しを見せ始めたのは、80年代に入ってからだった。日本ハム5年目、プロ16年目となる80年に9勝4セーブ。3年ぶりに規定投球回にも到達して、リーグ5位の防御率3.56をマークしている。

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