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投資もサッカー人生も、あえて「王道」は選ばず

3/19(火) 11:00配信

日経ビジネス

英資産運⽤会社、オービス・インベストメントの⽇本法人社長、時国司(ときくに・つかさ)⽒は異⾊の経歴を持つ。「自(みづから)」らに「由(よ)」って立つことを自由と定義し、仕事をしながら台湾代表としてFIFAフットサルワールドカップアジア予選ベスト16に進出した。「コントラリアン」ファンドのトップが歩んできた⼈⽣の道のりは、王道とはかけ離れているように映る。これまでの歩みや、投資とサッカーの「意外な共通点」について聞いた。

【関連画像】FC町田ゼルビアユース、Fリーグのバルドラール浦安への在籍経験もある時国司氏。

――サッカーやフットサルの選手にいつからなりたかったのですか。

オービス・インベストメント日本法人社長の時国司氏(以下、時国氏):母国台湾(台湾で生まれ、父は台湾人、母は日本人)の代表選手になりたいという思いは、小学生の頃からでした。「オフサイド」や「スラムダンク」、「キャプテン翼」といった漫画も成長を後押ししてくれました。

 でも、サッカーの代表選手になりたいという思いに関し家族の理解を得るのは簡単ではありませんでした。サッカーを本格的にやるにはコストがかかります。これは、遠征費用などのお金という意味でのコスト以上に、時間という意味でのコストです。私が将来選手になれる可能性を考えると、飯を食っていくためには、練習時間を勉強に費やした方が合理的です。華僑的な思想でもあると思います。私もこの考え方にはおおむね賛成でした。父と話し合った末、「学校の成績で5番以内を取れなかったらサッカーはやめる」という条件付きでサッカーを続けました。朝練、チーム練習、夜の自主練とサッカーに費やす時間をねん出するため、子どもの頃から勉強はいつも休み時間や移動時間にしていました。あえて友だちと予定を合わせずに1人で行動することもしばしば。学校生活では、結構変なやつだったと思います。

●「幼少期は、サッカーを続けるために必死で勉強した」

――⾼校時代はサッカー部キャプテン。18歳の時にはU-19のサッカー台湾代表に選ばれたそうですね。最初の就職先はゴールドマン・サックス(以下、GS)⽇本法⼈です。

時国氏:はい、GSは、私の原点です。私は「自(みづから)」らに「由(よ)」って立つことを自由だと考えており、その自由に最も早いスピードで近づける場所としてGSの戦略投資部を選びました。まずは家族を養えるだけの力と糧を蓄えることで自らの責任を果たす。そこからが本番と考えました。結果的に仲間と激しく競争しながら社会にインパクトを与える投資ができ、素晴らしい時間でした。

――入社後、どのような仕事をしたのですか。

時国氏:2004年に入社、戦略投資部に所属し、投資先の企業価値を分析するのが私の仕事でした。主な投資対象はディストレスト・アセット、つまり破綻した企業ですね。私はここで投資の面白さを知りました。印象深いのが、美容室の再生案件です。対象会社はすでに破産申請しており、社長は行方不明、従業員の皆さんはどうしていいか分からず右往左往している、そんな状況でした。この会社を事業承継して、1人もクビにすることなく、従業員の皆さんとともに3年間で黒字化させてアメリカの巨大な美容室コングロマリットと提携するところまで成長を実現することができました。資産運用は会社を変え、人々の人生を変え、社会を変えるということを、肌で感じることのできる仕事でした。GSで5年間働いた後、そのキャリアをもとに投資ファンドのベイン・キャピタルに転職。そこで2年間働きました。この7年間はただがむしゃらに働いていました。

 その後、経営学修士(MBA)取得に動きました。多くの同僚がスタンフォードやハーバードなど、米国の学校を選んだのですが、私が選んだのは英国のロンドン・ビジネス・スクール(以下、LBS)でした。理由は、MBAの勉強をしながら、ダブルスクールでFA(イングランドサッカー協会)のコーチングライセンスを取得することでした。LBSは、一般的にはスタンフォードやハーバードほどのネームバリューはありませんが、ビジネス特に金融業界では一流のMBAとして認識されていますし、長期的な視点に立って考えると、英国に行った方が自分の人生をより豊かなものにできると思ったからです。

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最終更新:3/19(火) 11:00
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