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【競泳】それぞれの決断――萩野&瀬戸時代の礎を築いた男・堀畑裕也~社会人スイマーにならなかった理由~

3/20(水) 8:22配信

ベースボール・マガジン社WEB

現在の競泳日本代表、特に男子は大学卒業後も競技を継続している選手が大勢を占めている。その傾向は、プロ選手が増え始めた世界の競泳界の流れに符号するように2000年前後から年々、強まってきたともいえるが、そんな中、世界での実績を残しながら大学卒業を機に第一線から退いた、唯一の選手がいた。堀畑裕也である。日本の男子個人メドレーの歴史を世界の舞台で切り拓いた男は、なぜその決断を下したのか――。
※文中敬称略

母校・豊川高の指導者として活躍中

 現役時代の雰囲気、そのままである。「いや、結構きてますよ」と横腹をさすってみせるものの、その照れ交じりの明るい表情はやっぱり変わらない。

 引退から7年。堀畑裕也は現在、母校である愛知の競泳強豪校・豊川高の教壇に立ち、恩師でもある小池隆治部長、深田大貴・男子監督とともに水泳部の指導にあたっている。役割は女子監督で、深田監督と共に全体の指導にあたっている。昨年はリオ五輪代表の今井月(いまい・るな)の指導にも携わり、「月の指導を通して、彼女から多くのことを勉強させてもらい、非常に貴重な時間を過ごすことができました」と指導者として大いに刺激を受けたという。

人生における夢とやりきった4年間

 まずは、現役時代の輝かしい歩みを紹介する。

 堀畑は身長160cm台ながら競泳種目の中で最もタフな種目ともいわれる400m個人メドレーで力を発揮。高校時代から全国トップレベルの選手として名を馳せ、日本体育大に入学した2009年から大学4年の2012年まで毎シーズン、日本代表入りを果たした。国内ではトップ戦線に絡み始めた高校生の萩野公介(ブリヂストン)と瀬戸大也(ANA)、ベテランの高桑健(自衛隊体育学校)、1学年下では藤森太将(木下グループ)らオリンピックのファイナリスト、そしてメダリストとなる選手たちとしのぎを削り、世界の舞台でも活躍した。2011年上海世界選手権では400m個人メドレーで3位に入り、日本の男子選手として初の同大会個人メドレーのメダリストに。そして翌2012年にはロンドン五輪でも6位入賞を果たしている。

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最終更新:3/20(水) 8:22
ベースボール・マガジン社WEB

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