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「松井の5敬遠」の明徳投手が指導者に。あの日の続きが2打席あった

3/22(金) 7:20配信

webスポルティーバ

「とにかく、いつでもグラウンドがあるっていうのがうれしいですね」

 河野和洋は、そう言った。

■池田との対決から36年。甲子園「伝説の剛腕」が高校野球に帰ってきた

 千葉県市原市、帝京平成大ちはら台キャンパスのグラウンド。新しく内野に張られた人工芝が美しい。河野はこの2月から、千葉県大学野球リーグに属するこの大学のコーチとなった。

 コウノカズヒロ――その名を記憶している人も多いのではないか。1992年夏の甲子園。河野は、明徳義塾(高知)の投手として石川の星稜と対戦した。試合は、3対2で明徳が勝利するが、怪物・松井秀喜(元ヤンキースなど)は5打席すべて、一塁に歩かされた。そう、これがいわゆる”松井の5打席連続敬遠”で、河野はその当事者というわけである。

 河野はその後、専修大を経て社会人のヤマハで2年間、アメリカの独立リーグでもつごう6年間野手としてプレーした。

 帰国後は、クラブチームの千葉熱血MAKINGの選手兼監督として、2015年にはクラブ選手権のベスト4まで進出している。2016年に引退後は、「それまでずっと野球ばかりだったんで、いろんな人と会ったり、さまざまな飲み会に参加しながら、人脈を広げる日々でした。明徳のOB会にも出ましたし、馬淵(史郎/明徳義塾監督)さんとも何度もお会いしましたね。修行と言える時期でした」。

 そして昨年12月、プロ野球経験者が学生野球の指導者になるための資格回復研修会を受講。従来、海外プロ野球経験者は対象外だったが、昨年から受講可能となったのだ。そして今年2月には、正式に資格を回復。現在は千葉リーグ2部で、野球部強化に本腰を入れたい帝京平成大から招聘された。

「クラブチーム時代は、とにかくグラウンドの確保が大変だったんです。朝の5時から並んだり、あちこちの自治体に登録して抽選を申し込んだり。ですから、そこに行けばいつでもグラウンドがある、というのはすごくありがたいんですよ」

 そう話す河野には、かつて何度も5敬遠の話を聞いたことがある。取材メモをあらためて見てみた。

「『こらあかん』と思いましたよ。星稜と長岡向陵(新潟)、勝った方がウチと当たるので、その試合をレフトスタンドで見ていたんです。初回いきなり松井に回り、カーンと音がしたと思ったら速すぎて打球が見えないんです。『あれ、どこ行った?』と思ったら、そのホームラン性のライナーをライトがつかんでいました。馬淵さんも『あれはバケモン』と言うし、星稜戦の先発を告げられたときには、『松井はもう、相手にせえへんから』と。

 結局、試合では5打席ストライクなしの20球、全部ストレートです。ヘタに変化球を投げて引っかかったら、ストライクゾーンに行きかねませんから。自分が145キロでも投げられれば勝負もしたかったでしょうが、背番号8でわかるように本職のピッチャーじゃないし、プライドも何もない(笑)」

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