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人種差別の少ないロシアで、黒人が別格な理由

3/22(金) 6:15配信

JBpress

 本年2月24日に発表された第91回米アカデミー賞の作品賞はピーター・ファレリー監督作品「グリーン・ブック」に決まった。

 この作品は、がさつで無教養なイタリア移民の用心棒トニーが、孤高の天才黒人ピアニスト、「ドク」ことドナルド・シャーリーの運転手兼雑用係となって、1962年10月から12月にかけて、米南部諸州を巡回したコンサートツアーでの出来事を映画化したものだ。

 筆者は米国南部における黒人差別が本作品のテーマと聞いていた。

 そのため、映画の中で、ドクが演奏仲間とかなり正しいロシア語で会話したり、演奏仲間の名前がロシア名だったりするのに仰天し、そこになぜロシアが出るのか大いに興味をもった。

 そしてその割には、演奏仲間と親密にならないことに戸惑いを感じたりした。

 改めてこの映画の筋書きを見ると、ドナルド・シャーリーは9歳でレニングラード音楽院に留学、クラシック音楽を勉強、そのために生涯、チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービンといったロシアの作曲家を尊敬したという。

 米国の文献を確認すると、現実のドナルド・シャーリーは、家族の反対でレニングラード音楽院留学は実現しなかったそうだ。

 しかし、ロシアの作曲家には大変愛着を示し、多くのコンサートでチャイコフスキーをはじめ、ラフマニノフのピアノ協奏曲を米国や欧州の交響楽団と共に演奏し、その録音も残っている。

 実際のドナルド・シャーリーは1929年生まれだから、9歳でレニングラード音楽院に入学すること自体あり得ない。

 また、渡航したことになっている1938年という年がソ連にとりどんな時期だったかを思い返すと、この話は荒唐無稽でしかない。にもかかわらず、当作品においてはロシア、ソ連といった文化が非常に効果的に使われている。

 その理由は、ドク一行が南部巡業に出た1962年当時には、もうかなりのロシア移民が米国に移住しており、その中には音楽関係の職業に就いて生活を安定的に営んでいる階層が出ていたことによると思われる。

 米マサチューセッツ州にある避暑地ケープコッドは, 大西洋に突き出した角状の半島で、ケネディー家のサマーハウスがあることで有名だ。

 その半島の真ん中にハヤニスという町がある。ここには、1950年代からロシア移民が集う一角があって、筆者もロシア語とロシア文化に慣れるため、留学先のボストンからよく通ったものであった。

 馴染みになった避暑客の中に、ニューヨークに住む音楽家の一家がいて、浜から涼風が吹く気持ちの良い夕方には、ホテルの庭に作ったステージで即興のコンサートがよく開かれた。

 彼らの生活は、まさに「Green Book」に描かれたような全米を対象にしたコンサートツアーや映画音楽録音での短期契約の積み重ねで、長期のポジションを得るのは難しいという話をしていた。

 ドク・シャーリーは巡業公演にあたり、低廉なコストで雇用できるロシア移民の演奏者をオーディションで採用しては、一緒に演奏旅行に出ていたと思われる。

 現在はどうか知らないが、筆者が滞在した1970年代後半のケープコッドに、黒人の姿はほとんどなかった。

 それがマンハッタンやブロンクスに住むロシア人たちがケープコッドでの避暑生活をおくる理由の一つになっていたかもしれない。 

 ロシアはソ連時代から人種差別がない国、と言われている。これはその通りであって、ロシアの良い特徴の一つである。

 特にアジア人に対しては、それが中国人であろうが、中央アジア人であろうが、ロシアほど差別のない国は西欧諸国では見ることができないだろうと感じる。

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最終更新:3/22(金) 6:15
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