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繁盛しすぎて「売り上げ持ち逃げ」も 日高屋会長のラーメン店、ライバルは吉野家?

3/23(土) 0:12配信

NIKKEI STYLE

ラーメン店「日高屋」を展開し、あくなき成長を追い求めるハイデイ日高創業者、神田正会長の「仕事人秘録」。事業を拡大し始めたころ、苦労したのは「人」の問題でした。
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繁盛すると一人で切り盛りはできなくなる。早くも人を使うことの難しさに直面する。

大宮・北銀座(現さいたま市大宮区)の店は本当にもうかりました。店を始めて3年目くらいでしょうか、日商2万円ほどになりました。ラーメン1杯が100円以上になっていました。これでこの商売をやっていける、と確信しました。

岩槻(現さいたま市岩槻区)を去る際にいったん、別れていた弟(町田功・元ハイデイ日高専務)はすでに呼び戻していました。北銀座の成功で、多店舗化を考え、もう一人、妹婿の高橋均(ハイデイ日高社長)を誘いました。高橋は当時、ラジオメーカーに勤めていましたが、いずれ自分で居酒屋をやりたいと言うので、ラーメンもいいよ、商売を覚えられるよ、と説得しました。

そこでまず、もう少し広い店を探しました。北銀座に比べてスナックなどが多い大宮・南銀座に出そうと。あるとき、南銀座のおにぎり屋で飲みながら女将に尋ねたら、貸店舗情報を教えてくれました。

それで大家さんに連絡してみると、保証金は300万円くらいでした。想定より高かったので、そんなカネはない、と言ったら、手形でいい、ということに。それで生まれて初めて、手形を切りました。結局、手形を振り出したのは後にも先にもこのとき限りのことでした。

今度は12坪(約40平方メートル)の店です。これも当たりました。「吉野家」は当時、24時間営業でしたが、ほかに夜通し食べられる店はほとんどありませんでした。午前0時を回ると、どんどん人が集まってきて、夜中の商売はこんなにもうかるのか、と改めて驚きました。

初期の頃の、人を雇う苦労が、従業員を大切にする社風の源泉となった。

弟たちを頼りにしたのは、やはり身内が一番信頼できたからです。40歳くらいまで厨房で鍋を振っていましたが、3店、4店と店が増えてくると、当然、人を雇います。しかしこれが、本当に難しい。

信じられないかもしれませんが、従業員がちゃんとシフトどおりに出てくるのか、全く当てになりませんでした。実際にシフトに穴が開いて、ほとんど寝ないで鍋を振り続けたことも一度や二度ではありません。24時間営業ですから。

借金もあったので、閉めたら銀行とかの取引が全部ダメになる、そんなふうに追い詰められた気持ちでした。

店を開けるために、応募してきた人は片っ端から採用せざるを得ない時期がありました。すると、売り上げを持ったままいなくなる人もいました。あれは常習だよ、と後で警察に聞かされたこともあります。持ち逃げされても、一晩分でよかった、と自分を納得させたりもしました。

いま、従業員に対して感謝する気持ちを忘れないよう心がけていますが、その原点には驚くような出来事やつらい思いがあります。
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[日経産業新聞2016年9月9日付]

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最終更新:3/23(土) 0:12
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