ここから本文です

【星野一義】1980年代「全日本ツーリングカー選手権のスタートともに参戦を開始したが・・・・」【日本一速い男の半生記 10】

3/23(土) 12:00配信

Webモーターマガジン

ツーリングカーレースの人気が高まる中

「日本一速い男」と呼ばれ、かの元F1ドライバーE・アーバインをして「日本にはホシノがいる」と言わしめた「星野一義」。通算133勝、21の4輪タイトルを獲得した稀代のレーシングドライバーの50有余年に渡る闘魂の軌跡。その第10回目をお届けする。(「星野一義 FANBOOK」より。文:小松信夫)

西部警察に登場したDR30型スカイラインRSターボはこれだ!

日本で本格的な4輪レースが行われてから、レーシングスポーツやフォーミュラなどが最高峰として注目されてきた。これと並行して、身近な市販車で競われるツーリングカーも根強い人気を集めてはいたが、それらはあくまでもローカルレースだった。

しかし、1982年にグループA規定がスタート、ツーリングカー、いわゆる「ハコ」のグループAマシンによるヨーロッパ選手権が大いに盛り上がる。そして日本でも85年、グループAマシンを使った全日本ツーリングカー選手権(JTC)がスタートする。

次々と強敵が現れ、思うような結果を残せず

日産はこのレースに、スカイラインRSターボ(DR30)を投入。星野は第2戦、筑波でのレース・ド・ニッポンで、近藤真彦とペアを組んでエントリー。PPを獲得しながらも結果はリタイア。

星野がこの86年の全日本ツーリングカーを走ったのはこの1戦だけだった。翌86年はエントリーせず、87年にはホシノレーシングは参戦したが、自らは走っていない。

日産は年こそスカイラインRSターボ&鈴木亜久里でチャンピオンとなったが、87年には三菱スタリオン、トヨタ・スープラ、そしてヨーロッパで活躍していたフォード・シェラの速さに対抗できなくなっていた。

そこで富士で行われた年の最終戦のインターTECで、日産&ニスモは新型のスカイラインGTS-R(HR31)を投入、ホモロゲーション取得のための800台限定のエボリューションモデルである。
 
星野もステアリングを託されるが、フォード・シェラ勢を上回るに至らない。星野は88年も再び走らなかったが、翌89年ついに全日本ツーリングカーにフルエントリー。大先輩である北野元とのコンビで第2戦・西仙台で勝利するが、同じスカイラインGTS-Rを駆る長谷見/オロフソン組が3勝しチャンピオンを獲得したことを思えば、不完全燃焼なシーズンとなった。

しかし、その悔しさを晴らすためのマシンが既に出番を待っていたのだった。(90年代に続く)

Webモーターマガジン

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事