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【消えた逸材】U-20W杯でMVP&得点王に輝きミランと契約したガーナ代表FWは、なぜ表舞台から消えたのか? スアレスの「ハンド事件」が明暗を…

3/24(日) 8:02配信

SOCCER DIGEST Web

「パット2世」と持て囃される。

 イタリアでは、眩い輝きを一瞬だけ放ち、その才能を全面的に開花させられずに表舞台から消えていった選手のことを「メテオラ(彗星、流れ星)」と言う。

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 ガーナ出身のドミニク・アディイアーは典型的なメテオラだ。19歳の秋に世界の頂点に立ちながら、その後が続かなかった。

 アディイアーがキャリアの第一歩を記したのは、ガーナの首都アクラにあったフェイエノールトのアカデミーだ。17歳でトップデビューを果たすと、翌シーズンには国内の強豪ハート・オブ・ライオンズに引き抜かれる。そこでゴールを量産し、2008年夏にノルウェーの古豪フレドリクスタからオファーを受け、欧州上陸を果たした。

 翌09年の秋、アディイアーは一躍「時の人」となる。エジプトで開催されたU-20ワールドカップでMVP&得点王(8ゴール)に輝く圧巻のパフォーマンスを披露し、ガーナを初優勝に導いたのだ。決勝で破った相手は、ドグラス・コスタやガンソを擁すブラジルだった。

 この活躍を聞きつけ、ガーナの新星の獲得を即決した男がいた。ミランのアドリアーノ・ガッリアーニ副会長(当時)だ。決勝からわずか2週間後の10月末には契約をまとめ、翌年1月からの入団を発表する熱の入れようだった。

 アディイアーは「パット2世」と持て囃され、同時期に加入したイングランド代表のスーパースターを引き合いに、「ミランの今日はベッカム、明日はアディイアーとともにある」と大きな期待を集めた。

 だが当時のミランのアタッカー陣には、”本家”アレッシャンドレ・パットにフィリッポ・インザーギ、そしてロナウジーニョがいた。経験も実績もない若手がすぐに試合に出られるわけもなく、最初のシーズンは一度もピッチに立てなかった。

 
 それでも、アディイアーは10年の南アフリカW杯のメンバーに選出された。初めての大舞台は、その実力を証明する絶好の場になるはずだった。だが、不運もあってそのチャンスをフイにしてしまう。

 1-1で延長戦にもつれ込んだ準々決勝のウルグアイ戦。試合終了間際に、かの有名なルイス・スアレスのハンドによって阻まれたガーナの決定的なヘディングシュートを放ったのが、ほかでもないアディイアーだった。

 このハンドで得たPKをアサモア・ギャンが決められず、勝負はPK戦へ。4人目のキッカーを任されたアディイアーは、重圧に飲み込まれたのかあえなく失敗。ガーナはアフリカ勢初のベスト4進出という快挙を逃した。

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最終更新:3/24(日) 8:02
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