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ニッポンのアイドル事情(1) 「毎日ライブでも無給だった」

3/25(月) 15:01配信

nippon.com

昭和と違い、現代の「アイドル」の意味するところは幅広い。例えば、観客数十人の小規模なライブ活動を行うアイドルは「地下アイドル」などと呼ばれる。しかし、その世界は過酷でもある。かつて地下アイドルをし、いまはフリーランスで、「原宿眠眠」というソロプロジェクトで音楽活動をしているツバサ・ミンミンさんに実態を聞いた。

月5000円の交通費だけで毎日ライブに出演

ツバサさんが地下アイドルとなったのには、どんな経緯があったのか。

「中学生のとき、AKB 48に憧れていました。アイドルってかわいいな、素敵だなと。それで、SKE48(AKB 48グループの一つで、名古屋市・栄を拠点としている)のオーディションを2回受けましたが、ご縁がなく……。その後、雑誌で見つけたオーディションで合格し、地下アイドルグループに参加することになりました」

そのグループは当初10人の少女たちで構成され、12歳から23歳のメンバーがいたという。ツバサさんは未成年だったので親と一緒に、活動前に事務所が開いた説明会に行った。

「ギャラはすぐには出せないけれど、出せるようには動いている、売れるようになったらギャラが出る契約にするからと言われました。交通費だけが月5000円支給されましたが、ほぼ毎日ライブに出るために渋谷などのライブハウスに通わなければならず、それでは足りませんでした」

音楽系の専門学校に通っていたツバサさんは、平日は朝から夕方まで学校に通い、それからライブハウスへ。帰るのはいつも午後11時ごろだった。土日は公演が1日3回あり、午前9時半から午後11時までライブハウスにいた。そのため、アルバイトをしたくてもできなかったという。

「お金がなくて、持っていたCDを売ったり、六本木からライブハウスがある渋谷まで歩いて200円くらいの電車代を浮かせて、コンビニのおにぎりを買ったりしていました。ライブのチケットは2000円から3000円で、ドリンク代はそれとは別に1杯600円でした。また、ファンと一緒に撮るインスタント写真(チェキ)は1枚1000円。けれどもこれらの収益は私たちの手には全く入りませんでした。マネージャーには、『収益は活動費用になっている』と聞かされていました。ずっと後になって、チェキの収入の40~50%をもらえる事務所もあることを知りました」

当時はギャラがないことについて疑問に思わなかったのか。

「メンバーの中には、部活感覚でもともと仕事という意識がない子もいました。私はそうではなかったけれど、そのときは売れるように頑張ろうという気持ちが強く、お金が欲しいとは言いませんでした。でも私たちがタダで働いているのに、当時40代くらいだったマネージャーの男性が、『女の子のいる店に行ってきた』などと言っていたときは、ひどいなと思いました。またマネージャーは、ライブのために『学校を休め』とも言ってきました。学費を払っているし、学校で学べることはたくさんあるので、私は休みたくないのに」

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最終更新:3/25(月) 15:01
nippon.com

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