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センバツの習志野アルプスに轟いた、“美爆音”と40年前のトランペット。

3/25(月) 11:46配信

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 大会2日目の第1試合、10年ぶりのセンバツ出場、8年ぶりの甲子園出場を果たした習志野のアルプススタンドは、美しく、そしてすさまじい爆音に包まれていた。

【写真】不敵だったり無垢だったり。あの名選手の高校球児時代。

 筆者はZOZOマリンスタジアムなどで何度も同校の応援を聴いているが、響き方がまったく違う。近くで聴いていると、「ドンドンドン!」というバスドラムのリズムが腹の底にズドンと響き、200人超という、おそらく今大会最多人数となるであろう吹奏楽部員が放つ音圧のすごさに、しばらく言葉が出なかった。

 吹奏楽コンクールの全国大会に30回以上出場し、「美爆音」のキャッチフレーズで知られる名門吹奏楽部が全力で演奏する中に、塗装のはがれたボロボロのトランペットを吹く、1人のOBの姿があった。

 同校を代表する応援曲『レッツゴー習志野』を作曲した、根津嘉弘氏だ。

曲が誕生したのは1975年のこと。

 同曲が誕生したのは1975年のこと。ヤクルトスワローズ監督の小川淳司が野球部のエースで、二度目の甲子園制覇を成し遂げた年だ。

 当時の吹奏楽部は、現在の200人超えの大所帯とは違って、30人ほどのこぢんまりとした部だったという。1967年に同校が甲子園で初優勝した時、「夢中になってテレビ観戦をしていた」という根津氏は、野球応援がしたくて習志野に入学した。

 今でこそ何十曲もの応援曲を持つ吹奏楽部だが、当時の野球応援は、大半の学校が早稲田大学の『コンバットマーチ』や慶應義塾大学の『ダッシュKEIO』など、六大学の応援を模倣していた時代。

 「まさに習高もそのような応援でした。2年生の時、顧問の先生に呼ばれて『何か応援曲を作ってくれないか』と頼まれたんです」(根津氏)

「こんなに長く愛される曲になるなんて」

 「子どもの頃から曲を作るのが趣味だった」という根津氏に、当時の吹奏楽部顧問は次の3点をリクエストした。

 当時から応援に使っていたという、「ドンドン・ドドドン・ドドドドン Let’s Go!」というリズムをそのまま使うこと。「習志野」という掛け声を入れること。そして、「習高らしく元気のいい曲を」という3点だ。

 メロディはすぐに思い浮かんだというが、完成した曲を聞いた後輩からは、「常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)の曲みたいだ、とからかわれましたけどね」と根津氏は笑いながら振り返り、そして「こんなに長く愛される曲になるなんて考えてもいなかった」と続けた。

 今でこそ吹奏楽コンクール全国大会常連の同校吹奏楽部だが、当時は「これからコンクールに力を入れていこう」という時期。野球応援が大好きで、ひたすらやりがいを感じていた一方、「コンクールが好きではなかった」という根津氏は、「コンクールも真剣にやりたい」という女子部員と対立し、3年の夏に部活を辞めた。

 「それくらい、応援が生きがいだったんです。部活は途中でやめましたけど、吹奏楽部の連中とは今でも交流があり、仲がいいんですよ」

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最終更新:3/25(月) 14:56
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