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渡辺久信が振り返る伝説の日本シリーズ。「西武にエースはいなかった」

3/26(火) 7:40配信

webスポルティーバ

西武×ヤクルト “伝説“となった日本シリーズの記憶(17)

【初戦先発】西武・渡辺久信 前編

四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

【写真】野村克也が名捕手2人を評価。どちらもいいが「古田敦也のほうが上」

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、“黄金時代“を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。あの激戦を戦い抜いた両チームの当事者たちに話を聞き、好評を博した連載を再開する。

第5回のテーマは「初戦先発」。今回は、熱戦の幕開けとなった1992年、シリーズ初戦に西武の先発を務めた渡辺久信のインタビューをお届けする。

【1992、1993年の頃にはすでに全盛期を過ぎていた】

――1992年、1993年はスワローズとの日本シリーズでした。当時のスワローズについては、どんな印象を持っていましたか?

渡辺 非常に「若い」っていうイメージでしたね。それにバランスの取れた打線だったと思います。一番・飯田(哲也)から始まって、広澤(克実)さん、池山(隆寛)、古田(敦也)など、野村(克也)さんが思っているような、いろいろな野球ができる駒がそろっていたという印象がありますね。

――この連載において、ライオンズのコーチだった伊原春樹さんは、当時「相手はヤクルトか、今年は楽勝だなと思っていた」と言っていました。渡辺さんは、どのように思っていましたか?

渡辺 それは伊原さんだから、そう考えていたんだと思います(笑)。僕ら選手たちは、そんなことは一切思っていなかったと思いますよ。同じプロ野球人として、1年間のペナントレースを制してセ・リーグを勝ち上がってきたチームに対して、そんなことは一切思わないです。それは相手に失礼ですからね。

―― 一方のスワローズナインに話を聞くと、「黄金時代の西武に勝てるはずがないと思っていた」と、当時の心境を口々に話していました。

渡辺 確かに、僕たちも「互角だ」とは考えていなかったとは思うけど、「短期勝負はやってみなければわからない」というのは、みんな思っていたんじゃないですかね。ただ、この頃にはすでに僕自身が衰えていたし、全盛期も過ぎていた頃だったという印象が強いですね。

――当時の渡辺さんは、1992年がプロ9年目の27歳、翌1993年がプロ10年目の28歳。まだ30歳の手前にもかかわらず、全盛期は過ぎていたという実感があったのですか?

渡辺 僕は18歳から一軍で投げていましたからね。それまでの“使い減り“は半端じゃなかったですよ。で、1992年が12勝12敗で、これが最後の2ケタ勝利でした。その後は9勝が2年続いて、あまり勝てなくなってしまいましたからね。この頃には自分の思ったような真っ直ぐじゃなくなっていましたね。どうしても、真っ直ぐを痛打されることが多くなっていました。だから、ストレートで押すだけではなくモデルチェンジを図っていた頃でした。でも、真っ直ぐがいかなくなると、他の変化球もなかなかうまくいかなくなるんですけどね。

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