ここから本文です

履正社・岡田龍生監督 「ゆとり教育でも甲子園に行ける」理由

3/27(水) 9:01配信

FRIDAY

「ベンチ入り選手は投票で決めます。部員全員に紙を配り、自分が監督になったつもりで18人の名前を書かせるんです。ナンボ野球がうまくても、人間性がデキていないヤツの名前は書かなくていいと話してある。最近の子は正直なのか、他人の評価はシビアです。でも、投票結果は私の考えとたいてい同じ。今回のセンバツ高校野球でも、投票結果は私が想定していたメンバーとほぼ一致しました」

こう話すのは、履正社高校(大阪府)野球部監督の岡田龍生(57)だ。

履正社は、3月23日に開幕した春の甲子園で優勝候補とされた強豪の一つ。優勝候補同士がぶつかる対決として注目を集めた、星陵(石川)との1回戦。履正社は0-3で敗北を喫したものの、夏での活躍に早くも期待が集まっている。岡田は無名の同校を大阪桐蔭と並ぶ全国屈指の強豪校に押し上げ、T‐岡田(オリックス)や山田哲人(ヤクルト)など多くのプロ野球選手を育てた名将である。

「ウチは野球の特待生をとらないので、甲子園優勝8度の大阪桐蔭さんとは選手層が違う。寮もないし、専用グラウンドから出る帰りのバスの時間が決まっているため長時間練習もできない。制約が多い中で、どうしたら強いチームが作れるかを考えてきました」

岡田は兵庫県の東洋大姫路高から日体大、鷺宮製作所を経て、’85年から桜宮高(大阪府)の野球部コーチに就任する。履正社の野球部監督になったのは’87年4月、25歳の時だ。だが、強豪校からは程遠い環境に愕然としたという。

「就任する前に、野球部の練習を見に行ったんです。すると部員はわずか11人しかおらず、ユニフォームをだらしなく着ているヤツや練習中に遊んでいる生徒もいた。グラウンドも今でこそ専用の球場がありますが、当時はラグビー部やサッカー部などと共用で野球部が独占できるのは週2日だけ。甲子園を目指すなんて言ったら『頭おかしいんじゃないか』と笑われるほどでした」

部員の態度は悪く、教員たちの言うことを聞かない。それまでは3年持たずに監督が交代し、4年連続で夏の大阪府予選の初戦敗退が続いていた。

「なんとかして野球部を強くしようと、必死の思いでした。グラウンドが使えない時には近くの公園を走り、照明設備がないので夜の練習では工事現場で使う投光器を並べた。指導は完全なスパルタです。今ではダメですが練習で手も足も出しましたし、試合に負ければ選手をまたシバく。とにかく体罰でプレッシャーをかけて、死に物狂いで野球に取り組むようにさせたのです。猛練習を重ねた結果、就任3年目の秋の大阪府大会で強豪の上宮高校を破り、入来祐作投手(元巨人)のいたPL学園と接戦を演じた。これで手ごたえを感じました」

結果が出たことにより、野球の上手な子どもたちが少しずつ集まり始める。’97年の夏には念願の甲子園出場。熱血指導にもますます力が入った。だが突然、逆境に見舞われる。’02年、監督が部員に暴力を振るったとする匿名の投書が学校と高野連に届き、岡田は「行き過ぎた指導」で半年間の謹慎処分を受けてしまう。

「『違う指導方法を考えなアカン』と反省しました。それまでは叱っても誉めることはない。会話もなく一方通行の指導でしたから。どうしたらよいか悩んだ末、生徒と密にコミュニケーションを取る方針にガラリと変えました。参考にしたのが、大学時代に見学したアメリカの野球です。米国では、選手が自分の長所をどんどんアピールしていた。試合に出られないと、監督に『なぜ自分がベンチにいるのか』と聞きに行くんです。こうした大学時代の経験から、監督と選手がコミュニケーションをとることで、チームの意識を高めようと考え直しました。改革の一つが毎年12月に行う個別面談。部員と親それぞれ別々に時間を設け、何が課題でどこが優れているかなどを話し合います。ウチには寮がありませんから、親御さんの協力が不可欠です。親がこちらの考えを理解し協力してくれれば、子どもは飛躍的に成長します」

面談で選手たちは大きく実力を伸ばした。ヤクルトの山田哲人もその一人だ。

「2年生の時の面談で山田が『プロに行きたい』と言うので、『今のオマエの考えでは難しいんとちゃうか』と話しました。素質があっても意識が足りないんです。そのころT‐岡田やプロ野球選手のOBがウチの練習に参加する機会があったので、山田には『話を聞いてみろ』ともアドバイスしました。本人は刺激を受けたようで、練習への取り組み方がガラリと変わった。キャッチボール一つでも、手を抜かず集中してやるようになったんです。3年の時には、もう教えることがないほど成長していました」

栄養管理など、科学的なトレーニングにも重きを置くようになった。

「二人の管理栄養士が定期的に部員の食事内容をチェックして、親御さんにフィードバックします。身体が大きくなる食事メニューを、アドバイスするんです。安田尚憲(ロッテ)などは3年間でメチャクチャでかくなりましたが、お母さんが作っていた食事は栄養士の指示通りの内容でした。一人一人の身体のサイズ、筋肉量、体脂肪を調べるほか、スイングスピードも定期的に測定している。数値で示せばわかりやすいし、どこをトレーニングで鍛え、どんな食事内容に変えればいいのか対策も立てやすいですから」

体罰を禁止し、ベンチ入り選手を投票制にするなど部員の自主性に任せる「ゆとり教育」にしてから、履正社はさらに実績を伸ばす。’97年の最初の甲子園から、’06年春に2度目の出場をするまでかかった期間は9年。しかし、その後は13年間で10回も甲子園の土を踏んでいるのだ。

「同じ大阪ということで、(昨年春夏連覇をした)大阪桐蔭と比べられますが力の差は埋まっていません。でも、今年のチームは十分戦えそうです。打線も好調。後は投手陣ががんばってくれれば……」

岡田が続ける。

「実は高校時代、私は野球がイヤでイヤで仕方なかったんです。練習時間が長いうえ、休みもない。先輩後輩の関係も厳しかった。ミスするたびに監督から殴られ、『いつか監督にボール当てたる!』と思っていました。その悶々とした気持ちを一気に晴らしてくれたのが、甲子園での勝利です。3年の春に主将として甲子園に出た時に、ベスト4まで勝ち上がった。その時初めて『野球ってこんなに楽しかったんや』と感じられたんです。『厳しい練習に耐えて良かった』と、心から思いました。甲子園という大舞台の魅力です。現在はそこまでツラい練習を課しませんが、甲子園で勝つことで生徒には野球ができる喜びを感じてほしい。ウチは’14年と’17年のセンバツで準優勝しました。だから優勝することにこだわりたい。生徒に常にそう話しています」

岡田の目標が、全国制覇から揺らぐことはない。

取材・文:桐島瞬(ジャーナリスト)

最終更新:3/27(水) 9:01
FRIDAY

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事