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高代延博 遊撃でインベーダーを迎え撃った?“ちびっこの星”/プロ野球1980年代の名選手

4/7(日) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

小柄な体が最大の持ち味

 1980年代は、中日の宇野勝ら、長打力のある大型遊撃手が頭角を現し始めた時代だ。そんな時代にあって、従来の一般的な遊撃手よりも“小粒”でも、まるで山椒のように“ピリリ”と存在感を発揮したのが日本ハムの高代延博だ。だが、身長170センチという体は、アマチュア時代からハンディキャップだった。

 智弁学園高から法大を経て東芝へ。エリートコースといえる球歴だが、小柄であるがゆえに、常にマイナスの評価を受け続けた。レギュラーを確保するというだけで、自らの体がハードルに。努力と負けん気で、それを乗り越えてきた。高校時代は非力な上半身と小さな手をカバーするため、風呂でゴムまりを握り続けて、握力の強化に努めたという。

 法大では3年の春に、ようやくメンバー入り。守備要員からのスタートだったが、秋には首位打者に輝くなど、バットで結果を残した。4年生になると、主将を務めてチームを引っ張るように。81年の巨人との日本シリーズで対戦することになる1学年下の江川卓は、

「ガッツもすごかったが、その心構えや周囲をひとつにまとめる力も抜群。僕もずいぶんお世話になったし、高代さんを胴上げしたいと思って頑張りました」

 と大学時代を振り返っている。そして、いわゆる“江川事件”があった78年秋のドラフト1位で日本ハムに指名され、79年に入団。1年目から正遊撃手となり、新人王こそ西武の松沼博久に譲ったものの、新人として初のダイヤモンド・グラブに。チームの失策も前年の86から59に激減した。打っても大学時代からの左キラーぶりを発揮、近鉄の鈴木啓示から満塁弾を含む2打席連続本塁打を放って、鈴木の「調子が良かったら打たれる相手じゃない」というコメントを聞くと、

「プロに“たら”はないです」

 と一言。もはや小柄な体はハンディキャップではなく、最大の持ち味になっていた。

 80年には遊撃のベストナインに選ばれて“ちびっこの星”と言われる。遊撃手というポジションと持ち前のガッツゆえにクロスプレーなどで負傷することも少なくなく、Vイヤーの81年も最終的には86試合の出場にとどまっているが、プロ3年目にして選手会の副会長も任され、ナインを鼓舞した姿勢も高く評価された。

 守っても4月に右足首を脱臼して約40日の離脱がありながらも、開幕から35試合連続無失策。人工芝に対応するべく編み出した“インベーダーゲーム式の運び足”で、卓越したフィールディングを見せた。なお、インベーダーゲームとは70年代の終盤から各地のゲームセンターに置かれて大流行したテレビゲームで、自軍の宇宙船が横にスルスルと動くさまは、確かに似ている。

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最終更新:4/7(日) 16:01
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