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すべてはラ・フォル・ジュルネから始まった。

4/8(月) 19:01配信

otocoto

新しいオトナの定義とは、端的に言うならば、「グレン・グールドだけ聴いていれば、一生それで良し」ではいられない、好奇心の強い人たちのことである。「いまさら人には聞けない」クラシック音楽の常識や、「いま一番面白いところを知りたい」という方々のために、毎週少しずつ書いていこうと思う。

『ラ・フォル・ジュルネ』――ああ、それなら知ってるよ、という方もいれば、そんなの聞いたことがない!という方も、まだまだ沢山おられることだろう。

ひとつだけ言えることがある。
たった3日間で毎年数十万人もの動員を記録する音楽祭『ラ・フォル・ジュルネ』の出現は、21世紀のクラシック音楽界における最重要な事件であり、いまもなお、ジャンルを超えた絶大な影響力を持っている。決して無視できない存在なのだ。

『ラ・フォル・ジュルネ』が東京にやってきたのは、2005年春のことだった。
そのときから、クラシック音楽にまつわる、“ある考え方”が根底から覆された。

それは、クラシック音楽が、富裕層やエリート、あるいは特殊な趣味人にだけ許された、高級な「贅沢」であるという考え方だ。

かねてから私は、そのようなクラシック音楽の“敷居の高さ”に対して、アンビバレンツな感情を抱いてきた。
海外旅行などで著名なオペラハウスやコンサートホールに行かれたことのある方ならご存じだろう。あの劇場空間の格式の高さと非日常性は、この世でもっともうっとりとさせる世界である。
それをこよなく愛する一方で、そこで鳴っている素晴らしい音楽が、ごく一部のリッチな人々だけに専有されることへの、いらだたしさを感じずにはいられなかった。庶民とは無縁の“高嶺の花”として遠ざけられるのは、寂しいことだと思っていた。

『ラ・フォル・ジュルネ』はフランスの港町ナントで、1995年に音楽プロデューサーのルネ・マルタンによって創設された。ルネがこれまで一貫して主張してきたのが、人類共通の宝物であるクラシック音楽を聴くことは、それにふさわしいかどうかの「資格」の問題ではなく、あらゆる人々が享受できる「権利」の問題である、という考え方だ。

『ラ・フォル・ジュルネ』の特徴は、1時間程度の短いコンサートを、廉価で、同時多発的に、朝から晩まで、集中豪雨のように開催することによって、丸一日そこで楽しめるお祭りの空間を作り出すことにある。
さまざまな屋台が立ち並び、無料ライブもおこなわれ、楽器や本の展示や、各種ワークショップなどの知的な仕掛けもあり、楽しい高揚感あふれる場が、そこには生まれてくる。

といっても、決して騒がしくはないのがポイントだ。
おそらく、そこに集まってくる多様な人たちが、クラシック音楽を聴きながら一日を過ごすことを目的にしているという、一種の連帯感でつながっているからだと思う。

私は、この秩序ある連帯感こそが、『ラ・フォル・ジュルネ』の真価だと思っている。

ちなみに、ラ・フォル・ジュルネの意味は、フランス語で「誰もが頭がおかしくなってしまうほど素敵な、音楽漬けになるための一日」とでも言えようか。
人生のなかの、今日という一日を、クラシック音楽だけのために過ごすこと、それが本当の豊かさにつながっていく…というメッセージがそこには含まれている。

文・林田直樹

最終更新:4/19(金) 10:41
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