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パチンコに狂う父から20歳で逃げた息子の告白

4/8(月) 6:30配信

東洋経済オンライン

 12月の昼下がりなのに外気は2℃。新幹線で盛岡駅に降り立ったときはそれほど寒さを感じなかったのですが、しばらく外を歩くと身体がじわじわと冷え、北の地を訪れていることを実感しました。今回話を聞かせてもらったのは、濱田瑛太さん(仮名、26歳)。

 高校を出てからずっと、岩手県内のある役場で働いています。酒癖が悪くギャンブル依存の父親に、小さい頃から悩まされてきました。母親はがんと闘った末、東日本大震災の翌年に他界しています。

 「父親からの金の無心から逃げるため、6年前に家を出た」という瑛太さんに、これまで何を感じてきたのか、聞きました。

■まるで「一種の宗教」のような家族関係

 瑛太さんが生まれたのは、両親が出会って結婚した神奈川県。幼稚園の頃、両親の故郷である岩手県に移り、3人で暮らしてきました。

 父親は酒に弱く、飲んで帰ってきては母親や瑛太さんに説教をし、ときには2人に手を上げることもありました。自分がつねに正しく、母親や瑛太さんの言うことは間違っていると断じるその様は、「一種の宗教みたいな感じだった」と言います。

 親戚が経営する会社で土木の仕事をしていた父親は、茶封筒で給料を渡されていました。もらった封を開けるとお金が半分以上減っており、母親が嘆いていたことを覚えています。父親はギャンブル依存症で、パチンコにお金を注ぎ込んでいました。

 母親は一度、瑛太さんを連れて、東京に住む妹のところに家出したことも。瑛太さんが9歳のときでした。おそらく離婚を考えたのでしょうが、1人では「生活できない」と判断したのか、親戚の仲介もあり、結局は父親の元へ戻ることに。

 お酒を飲んでいないときの父親はテレビを観て笑ったり、冗談めいたことを言ったり、おどけたところもあったようですが、あまりよく思い出せないそう。その後の嫌な思い出が塗り重ねられ、楽しい記憶が消されてしまったのかもしれません。

 母親は「自分(瑛太さん)が部屋を片付けないでいると『片付けといたから』と言う」ような、「肝っ玉母ちゃんだった」と言います。調理師免許を持ち、近所のお弁当屋さんで長く働いていた母の料理は「手抜きでもおいしかった」そう。「近所からもよくおいしいと喜んでもらっていた」と話す瑛太さんは、ちょっと誇らしげでした。

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最終更新:4/8(月) 7:57
東洋経済オンライン

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