ここから本文です

なぜフィルダーは25歳で来日して、26歳でメジャー本塁打王になったのか?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

4/10(水) 11:01配信

週刊ベースボールONLINE

開幕すると本塁打量産

 とんねるずの石橋貴明と巨人のクロマティのツーショットだ。

 平成元年の『週刊ベースボール』1989年9月11日号で、そんな懐かしい写真を見つけた。当時、高視聴率を叩き出し若者からカリスマ的な人気を得ていた新進気鋭のお笑いコンビ、とんねるずと、巨人助っ人史上屈指の実力と知名度を誇るクロマティ。背番号49が『とんねるずのみなさんのおかげです。』にゲスト出演したりと交流があった二人だが、平成が始まったばかりのこのシーズン、クロウの打率4割への挑戦が球界の話題を独占していた。

 規定打席の403打席到達時も4割をクリアしていたものの、8月22日のヤクルト戦で4割を切り、最終的に打率.378で首位打者とMVPを獲得。当時の週べでも「4割クロウの意外な苦悩」という特集が組まれ、雑誌『ニューズウィーク』に「4割だって日本人が打つと、もっともっと高い評価を受けるはずなのに、外人はいつも当たり前と受け止められる。シラケちゃうよ」」なんて不満をぶっちゃけ、一騒動起こすクロマティの様子が報じられている。

 その同じ号に掲載されたのが、『「週べ」ほっとHotインタビュー』のセシル・フィルダーである。平成が始まったばかりの日本に、25歳の若さで降り立った188センチ、101キロの巨漢スラッガー。87年、88年と2年連続の最下位に沈む村山阪神の救世主として期待されたのは、ブルージェイズの4年間で通算31ホーマーを放ったフィルダーだった。

 あのランディ・バースの背番号44を託され、安芸キャンプでは場外アーチを連発。ブルージェイズ時代は控えで「試合に出られなくなってイライラし、家族にも迷惑をかけた。試合に出られる機会が与えられるから日本行きを決意したんだ。毎日出ることができるんだから……」と切実に語るも、オープン戦では変化球に対応できず“季節外れの扇風機”と酷評されてしまう。

 しかし、開幕すると4月に3本、5月に8本と徐々に本塁打を量産。6月22日のヤクルト戦では2打席連続の19号、20号を放ち、47打点とともに2部門でラリー・パリッシュ(ヤクルト)に並びリーグトップに立つ。7月には月間MVPも受賞。「クレバーな男だよ。自分で狙い球を絞るんだが、それがピタリと当たる」と石井晶打撃コーチも絶賛する男は、東京ドームの看板直撃弾や横浜スタジアムでの160メートル級の場外アーチをかっ飛ばす一方で、恐妻……いや愛妻家としても知られ、ワイフがぐっすり寝ている間に息子プリンス君(2007年にMLBで本塁打王)の朝食を作り食べさせるパパの顔も。四番を張り、“セス”のニックネームでチームにも溶け込み、特に大洋戦では16本塁打と無類の強さを発揮した。

1/2ページ

最終更新:4/10(水) 13:17
週刊ベースボールONLINE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊ベースボールONLINE

株式会社ベースボール・マガジン社

野球専門誌『週刊ベースボール』でしか読めない人気連載をはじめ、プロ野球ファン必見のコンテンツをご覧いただけます。

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事