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妻は女優、嫁は元Wink……平成と共に去った政治家・相沢英之の人生

4/11(木) 6:00配信

文春オンライン

 経済企画庁長官や自民党税調会長を歴任した相沢英之元金融担当相が、4月4日、肺炎のため亡くなった。一線を退いてから15年余。享年99。

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 相沢氏は1942年に大蔵省に入ったが、直後に召集。終戦後、3年間のシベリア抑留を経験した戦中派の存在感は濃厚だった。省内でも溢れる野心を隠そうとしなかった。ダンディな風貌とがっしりした体格で、女性にもよくモテた。妻に先立たれた相沢氏が15歳年下の女優・司葉子さんと再婚して話題を呼んだのは69年。大蔵官僚として出世街道を駆け上がっている真っ最中だった。「相沢さんもこれで落ち着いてくれるな、とほっとしたよ」と、苦笑いしながら振り返る後輩もいる。

「きょうは誰も入ってくるなよ」。主計局長当時、予算の原案ができると各省庁への内示を一日延ばして、局長室に一人籠った。有力政治家に次々と電話をかけ、要望があった事業の査定結果を密かに伝えていたという。

 高度経済成長の只中で、財政再建や消費税といった課題もなく、大蔵省が最も力を振るった時代の主計局長だった。73年に事務次官に上り詰めると、退官間もない76年の衆院選に、自身は横浜育ちだが、司さんの地元・鳥取県から出馬した。ちなみに大蔵(財務)次官から政界入りしたのは相沢氏が最後だ。

 政界では、大蔵省出身で同い年の故・宮沢喜一氏を内心、強く意識していた。日本経済がデフレと金融危機に陥っていた90年代末には、「(当時蔵相の)宮沢はもっと思い切った手を打たなければ」と口癖のように語っていた。

三男は元Winkの相田翔子さんと結婚

 大蔵省の後輩には厳しく接したが、氏の明るさや包容力を慕う人は多かった。共に宏池会を出て大勇会を作った麻生太郎氏もその一人で、麻生派の顧問を晩年まで続けた。

 三男が歌手の相田翔子さんと交際していた時は、「朗らかな娘さんでいいじゃないか」と結婚を後押し。披露宴が時の麻生総理ら大物政治家はもちろん、五木ひろし、堀内孝雄らも出席する華やかなものだったのも相沢家ならではだ。

 春になると自宅に知人を招いて桜を見る会を催し、「司さんに御酌をしてもらえる」と喜ぶ者も多かった。「経済が弱くなれば世の中が不安になる。守るべきものは守る。批判を受けてもかまわない」。桜を見ながら相沢氏が温顔で語る政策論は流行の改革路線とは真逆だったが、大正、昭和、平成の三代を生き抜いた自負を感じさせるものだった。

「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年4月18日号

最終更新:4/11(木) 12:51
文春オンライン

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