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横田真之 闘魂と猛練習でレギュラーにしがみついた“豪打球神”/プロ野球1980年代の名選手

4/13(土) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

新人王より自身の打率3割

 どういうわけかコレクションを好む男性は多い。これは古今東西、大人であれ子どもであれ、変わらないのではないかという気さえする。違いがあるとすれば、各自のコレクションに対する執着心と、それを支えられる経済力くらいだろう。

 1980年代の少年たちがコレクションに並々ならぬ執着心を燃やしたものは、いわゆる“ガチャガチャ”で手に入れるキャラクターの(消えない)消しゴム、ポテトチップスの“おまけ”でついていたプロ野球選手のカード、そしてそれ以上に、ビックリマンチョコの“おまけ”でつけられていたシールだった。特にビックリマンのシールは“おまけ”にとどまらず、シールだけ抜き取ってチョコレートを捨てる子どもが続出。飽食が当たり前になりつつあった時代とはいえ、社会問題にもなった。

 そのビックリマンチョコを販売していたのがロッテ。プロ野球でロッテといえばオリオンズだ。そのビックリマンの野球バージョン“スーパーオリオンシリーズ”で、豪打球神、というキャラクターのモデルとなったのが横田真之だった。

 ドラフト4位で85年にロッテへ。初めてのキャンプでは二軍スタートだったが、オープン戦で外野のレギュラー候補だった高橋忠一が肩を脱臼したため、開幕一軍が巡ってくる。そして、ファンだったアントニオ猪木に負けず劣らずの“闘魂”と猛練習でレギュラーにしがみついた。

 器用なタイプではなかったものの、攻守走にスキがなく、一本足打法からのミート力も抜群で、巨人での現役時代は“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治も絶賛するほど。自分のペースで打てるように始動を早くして、トップの位置から最短距離でバットを出すことで確実にミート、センター方向へ打ち返すことを心がけた。そして1年目から124試合に出場。阪急の熊野輝光や高知の明徳高、駒大でチームメートだった日本ハムの河野博文らと新人王を争い、最終的には熊野との一騎打ちに。だが、それよりも、

「自分の(打率)3割を意識していた」

 と振り返る。打率.3005で迎えたシーズン最終打席は、凡退すれば打率.2998となるギリギリのライン。やや弱気になったというが、初球が死球となって打数も安打も変わらず、3割を超えたままシーズンを終えた。新人王こそ熊野に譲ったものの、ロッテは2年連続2位。外野のベストナインに選ばれた。

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最終更新:4/15(月) 13:32
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