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【ポルシェ917の記憶 その2】ル・マンを制覇するために生まれたマシンが「ポルシェ917」だった

4/13(土) 12:00配信

Webモーターマガジン

ホモロゲ取得のため25台が突貫工事で生産された

ポルシェ917が登場して今年で50年を迎える。これを記念してポルシェでは、907_001の復刻、グッドウッドへの参加、ポルシェミュージアムでの特別展示など、世界中で数多くのイベントを企画しているが、「917」とはポルシェにとってどんなモデルだったのだろうか。短期集中連載「ポルシェ917の記憶」第2回をお届けする。

【写真】1969年フランクフルトショーのポルシェ917展示風景などを見る

ル・マンのレギュレーション変更に伴い、極秘かつ迅速に開発が進められた「917」。しかし、それまで軽量コンパクトなスポーツカーを得意としていたポルシェにとって、大排気量マシンの開発は簡単ではなかった。

1968年7月、フェルディナント・ピエヒ博士の指揮の下、いよいよ「917」の開発が始まる。ただし、その開発は白紙の状態から始まったわけではなく、1969年シーズンの開幕に間に合わせるため、「908」をベースに大排気量エンジンが搭載できるように改良する形で進められた。

開発開始からわずか8カ月、ポルシェ917は1969年3月に開催されたジュネーブオートサロンに姿を現し、すぐさまグループ4のホモロゲーション取得の条件となる25台が突貫工事で生産された。

エンジンは新たに開発された最高出力520ps/最大トルク450Nmの空冷4.5L水平対向12気筒で、シャシはアルミ合金のスペースフレーム、ボディパネルはFRP製、サスペンションなどにはチタンが使われており、車重は800kgほどしかなかった。

1969年、多くの課題を抱えながらル・マン参戦

しかし完成したマシンは強大なエンジンパワーにシャシが追いつかず、とくに高速コーナーでのハンドリングに問題を抱えていた。

しかも装備されていたサスペンションと連動して可変するスポイラーがレギュレーションに抵触し、空力パーツを追加したものの課題を残したままル・マン24時間レースに参戦することになってしまう。

ワークスチームでさえも、1台は高速安定性を狙って急遽ロングテールに変更されていたほどだった。当時のポルシェには大排気量スポーツカーの経験が多くなかった。


1969年6月に行われたル・マンには4台の917がエントリーした。予選で好タイムをマークし期待が高まったが、決勝レースでは心配が現実のものとなり、出走した「917」は全車リタイアとなってしまった。皮肉にも援護にまわるはずだった「908」が優勝争いを展開、結局フォードGTには敗れたが総合2位となっている。

また同じ年の秋には、ニッサンR382とトヨタ7の対決となった日本GPにタキレーシングと組んで出場したが、優勝争いに加わることなく総合6位に終わった。しかし、この時の経験が翌年のル・マン初制覇へと繋がっていく。(続く)

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最終更新:4/13(土) 12:00
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