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【アウディスポーツの衝撃 02】もしスポーツクワトロ RS002が登場していたら、歴史は変わっていただろう

4/13(土) 19:10配信

Webモーターマガジン

突如として姿を表した幻のミッドシップ グループSマシン

1980年代のWRCを席巻した「アウディクワトロ」。その舞台裏で、さらなる高みを目指したミッドシップクワトロの開発が秘かに進められていた。アウディスポーツの魅力を明らかにする短期集中連載の第2回目として、Motor Magazine2018年月号7月号に掲載した記事をお送りする。(文:藤原よしお/写真:藤原攻三、Audi AG)

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あれは、2017年6月末にイギリスで行われた「グッドウッド フェスティバル オブ スピード」でのことだった。

出走車がスタート前に集まるアッセンブリーエリアと呼ばれる場所でカメラを構えていると、名ラリードライバーであるハンヌ・ミッコラがドライブする1台の見慣れないクルマが入ってきた。フロントに付けられたフォーシルバーリングスからアウディであることはわかったが、車名はおろか、その姿を見るのも初めてだった。

ただひとつ言えることは、どことなく愛嬌すら感じさせるボディデザインとは裏腹に、リアから発せられるエキゾーストノートは激しく、このマシンがただものではないことを伺わせていたことだ。

コンペティションシーンにおけるアウディの躍進は、フェルディナント・ピエヒ氏が1972年にポルシェから移籍してから始まったといっていい。開発担当重役に就いたピエヒは、フルタイム4WDシステムメクワトロモの開発を推進。その成果として結実したのが、1880年発表のクワトロである。

早速、グループ4マシンとして仕立てられたクワトロは、1981年からWRC(世界ラリー選手権)にワークス参戦を開始。直列5気筒ターボエンジンのパワーと4WDの高い走破性で、1982年にメイクスタイトルを、1983年にドライバーズタイトルを奪取し、ラリー界にメストラトス ショックモ以来の革命をもたらした。

ところがグループBの時代になると、次第にプジョー205ターボ16が先鞭をつけたハイパワーミッドシップ4WDのパッケージングが主流となり、ショートホイールベース&ワイドトレッドに進化したグループBマシン、「スポーツクワトロ」にも陰りが見えてきた。

そこでアウディ開発陣は秘密裏にミッドシップグループBマシンの開発に着手。1985年型「スポーツクワトロS1」をベースに600ps(それ以上という噂もある)にチューンされた2.1L直5ターボエンジンを搭載した「スポーツクワトロ RS001」を製作し、1985年10月にわざわざ共産圏であったチェコスロバキアへと持ち込みヴァルター・ロール氏の手で隠密テストまで行っている(一説によると、RS001はピエヒ氏にも内緒で計画が進められたといわれており、オーストリアの雑誌にテストの模様がスクープされたことでピエヒ氏が激怒、計画は白紙に戻されたという)。

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最終更新:4/13(土) 19:10
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