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崇神天皇~二皇子に下されし勅

4/15(月) 12:12配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

天皇陛下の譲位と平成改元という節目の年に、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は「崇神天皇」をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

崇神天皇の即位

皇紀513年=開化10年(前148年)、開化天皇の第二皇子として誕生された御間城入彦命(みまきいりひこのみこと)で、母は開化天皇の皇后・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)である。
皇后・伊香色謎命は物部氏の祖である大綜麻杵命(おおへそきのみこと)の娘である。
皇紀531年=開化28年(前130年)1月5日、第二皇子・御間城入彦命が19歳で立太子される。
先帝・開化天皇が崩御される32年前に立太子しておられ、その後皇位を巡る紛争などは起きていないので、崇神天皇即位に関しての問題はなかったと判断してよい。
ところが、即位されてから9年後、後述の通り武埴安彦命(たけはにやすひこのみこと)が反乱を起こしている。崇神天皇即位後に皇位を簒奪しようとして起こした反乱である。
皇紀563年=開化60年(前98年)4月9日、先帝・開化天皇が崩御される。
先帝・開化天皇が崩御されてから次の御間城入彦命が即位されるまでおよそ8ヶ月あまり経っている。
御間城入彦命には異母兄の彦湯産隅命(ほこゆむすみのみこと、母は丹波竹野媛)がおられ、若干調整期間があったとも推測される。しかし結局は、先帝・開化天皇の皇后の皇子・御間城入彦命が即位されることになったのであろう。
翌皇紀564年=崇神元年(前97年)1月13日、皇太子・御間城入彦命が崇神天皇として52歳で即位される。
2月16日、孝元天皇の第一皇子・大彦命(同母兄)の女王である御間城姫(みまきひめ)を立てて皇后とされる。
大彦命は孝元天皇の第一皇子で父帝・開化天皇の同母兄だから皇后は従姉に当たる。
皇紀566年=崇神3年(前95年)秋9月、都を大和国磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや、奈良県桜井市)に遷された。

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最終更新:4/15(月) 12:12
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