ここから本文です

武士道:日本人の精神を支える倫理的な礎

4/15(月) 15:02配信

nippon.com

笠谷 和比古

侍の気構えと行動を規定した武士道。戦闘なき徳川時代になって精神的な徳義へと変容し、やがて庶民の生活経済倫理にまで影響を与えていく。

武士道を論じた書物として新渡戸稲造の『武士道』が有名である。1899年にニューヨークで英文のBushido:The Soul of Japanが出版され、1908年に桜井彦一郎による日本語訳が出された。38年に矢内原忠雄訳で岩波文庫に収められ、版を重ねつつ武士道論のスタンダードをなしてきた。他方、武士道を西洋の騎士道にも匹敵する道徳高潔な精神と論じる同書の記述は、近代明治という時代のナショナリズムが作り上げた虚像に過ぎないといった批判的論調も目立ち、その評価は分かれている。ここでは武士が実際に活動していた時代に、当時の人々が何を指して「武士道」と呼び、その本質は何かを歴史実証主義の立場から考えてみる。

戦場で勇猛果敢に戦う行動規範

「武士道」という言葉は中世社会には見られない。中世では武士の行為規範に対して「弓馬の道」、「弓矢とる身のならい」などの語が用いられていた。「武士道」という言葉の出現例の初期に属するのが、武田流兵学の聖典として知られた『甲陽軍鑑』である。全20巻から成る同書には「武士道」の語が30回以上も頻出し、また同書が兵学の教科書として武士の世界で広く読み継がれたことから、「武士道」という表現の普及に大きな影響力を有していたと思われる。

ただしその成立時期については、武田信玄の家臣・高坂弾正昌信(こうさかだんじょうまさのぶ)が1575(天正3)年の長篠合戦の敗北を受けて書き始めたとする高坂自撰(せん)説と、武田流軍学者・小幡勘兵衛景憲(おばたかんひょうえかげのり)の手によって1615(元和元)年頃にまとめられた編纂(さん)本とする説とが並立している。今日では高坂自撰説が優勢のようである。

『甲陽軍鑑』において武士道が語られるのは、専ら戦場における武功、勇猛果敢な働きと不可分である。例えば、「人つかひ給ふ様あしく御座候と先日も大形申し上げるごとく(中略)武士道の役にたつ者をば、米銭の奉行・材木奉行或(あるい)は山林の奉行などになされ」(同書、品三十)といった表現。武士道に役立つ人間を行財政の事務的役職などにつけるのは人材の損失という批判であり、武士道とは端的に戦陣における「槍(やり)働き(活躍ぶり)」を指している。

しかしながら武士道のその後の展開は、外面的な武勇よりも内面的な強さを重視し、人としての徳義を涵養することを主意とする方向に進んでいく。

1/3ページ

最終更新:4/15(月) 15:02
nippon.com

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事