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「沙知代、お前は幸せだったか…?」妻に捧げるノムさんの愛惜の想い

4/15(月) 11:01配信

現代ビジネス

いつもの昼過ぎ、沙知代の変化

 涙は出なかった。

 私の妻、野村沙知代が逝ったのは、2017年12月8日の午後だった。

 私の体はプロ野球の世界にどっぷりつかって生きてきたせいで「ナイター」仕様になっている。起きるのはいつも昼の12時を回ってからだ。

 その日も午後1時ごろに目が覚め、お手伝いさんがつくってくれた朝食兼昼食を食べたあと、応接間でテレビを観ていた。

 すると、お手伝いさんが「奥様の様子が……」と私を呼びに来た。

 ダイニングへ行くと、妻がテーブルの上に突っ伏していた。

 背中をさすりながら声をかけた。
「大丈夫か」

 沙知代は少し強気な声で言った。
「大丈夫よ」

 それが最後の言葉になった。

 あの沙知代がまさか死んでしまうとは。

 あらゆるものに抗って生きてきた女が、最後の最後、もっとも抵抗すべき死をこんなにもあっさりと受け入れてしまうとは。

 直前まで、あんなにぴんぴんしていたというのに。

 私は口癖のように「俺より先に逝くなよ」と妻に言っていた。返ってくる言葉はいつも同じだった。
「そんなのわかんないわよ」

 極度な心配性の私は、そんなことがあるはずはないと思いながらも、万が一のことを思って妻にそう釘を刺していたのだ。

突然訪れた沙知代との別れ

 ところが、その「万が一」が起きた。

 万が一に備えてと言いながら、その万が一を常日頃から想定している人間など、そういるものではない。私もそうだった。あまりに突然の出来事に、心ががらんどうになった。

 その状態は今も変わらない。

 失ってみて初めてその存在の大きさがわかるとよく言うが、まさに私がそうだった。誰もいない家へ帰るたびに、心に穴が開いたままであることに気づかされる。

 たとえば、がんで亡くなったのなら、こうはならなかったのではないか。余命いくばくもないと宣告されてからの日々を、これまで言いたくても言えなかったことなどを語り合いつつ、2人で劇的に演出することもできたかもしれない。

 心の準備ができ、涙を流すこともあったかもしれない。

 そして、その涙が、心の穴を埋めてくれたかもしれない。

 それに比べ、今回のケースは、たった5分の出来事である。

 2時間楽しむつもりだった映画の主人公が上映開始からわずか5分で亡くなり完結してしまったようなものである。未だに悪い冗談のようにしか思えないのだ。

 私は沙知代との思い出を『ありがとうを言えなくて』という1冊の本にまとめた。

 沙知代とのことをここまで赤裸々に書くのは、おそらくこれが最初で最後だろう。

 亡くなった日の朝、こんなことがあった。

 明け方、沙知代が「手を握って」と言った。

 妻お気に入りの、アメリカ映画に出てくるようなキングサイズベッドの中だ。

 沙知代と付き合い始めてから50年近く経つが、そんなしおらしいセリフを言ったのは初めてのことだった。

 私たちは手をつないで歩いたことさえない。

 言われた通り手を握ってやった。こんなに小さな手をしていたのかと、少し驚いた。そして、もうくしゅくしゅだった。

 今にして思えば、何かを予感していたのかもしれないし、単なる偶然だったのかもしれない。

 冷酷な人間だと思われるかもしれないが、沙知代が亡くなって1年以上経過した今も涙を流したことがない。お袋が死んだときは、あんなに涙が出たんだがな。違いは何なのだろうと思う。

 私は心が壊れてしまったのだろうか。

 大丈夫よ、か。

 沙知代は今際の際まで、強気な女だった。

野村 克也

最終更新:4/15(月) 11:01
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