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私の道はつながっていた――がん患者を支援したい

4/15(月) 10:59配信

日経doors

乳がんを患い、8カ月に及ぶ闘病生活を経て職場復帰をした鈴木美穂さん。再び記者としてがんに関する情報を発信するとともに、プライベートでもがん患者のために精力的に活動を続けます。運命的な出会いを経て、ついにマギーズ東京センターの開設にこぎ着けました。

【関連画像】マギーズ東京のオープニングイベントには1050人もの人が訪れた。来賓には塩崎恭久厚生労働大臣(当時)も

●がんになったから伝えられることがある

 2009年1月に8カ月の休職を経て職場復帰した私は、休職前と同じ記者としてのポジションで働くことになりました。ただ、当然大病を患った身ですから、寝る間も惜しんで働くバリバリの記者の道はあきらめなければなりません。ただ、自分なりの情報発信の方法があると考えていました。闘病を経験したからこそ、上から目線にならずにがんについて伝えられることがある、がんで苦しんでいる人の力になりたい、がんになっていない人にも理解を広めたい――そんな思いを抱いていました。

 がんになった人の日常に密着したドキュメンタリーを制作したり、厚生労働省の担当記者としてがんや病気に関するニュースを追いかけたりする日々が続きました。そんななか出会ったのが、山下弘子さんです。生命保険会社アフラックのCMに出ていたといえば思い出す方も多いのではないでしょうか? 彼女は大学1年生、19歳のときに肝臓に巨大ながんが見つかり、余命半年を宣告されました。その後手術したものの、再発転移を繰り返していました。

山下弘子さんに密着取材

 友人に彼女のブログを教えてもらい、読んだときには衝撃を受けました。治療の真っただ中にありながら、「すべてのことに意味がある」「ありがとう」と前向きな言葉が並んでいる。私には考えられないことでした。どうしても直接会って、なぜそんなに前向きになれるのか話を聞きたかった。ブログ経由でメッセージを送ると、「アジア放浪の旅をしていて、今、関西国際空港に戻ってきたばかりです」と反応がありました。がん治療中なのにアジア放浪? それだけで驚きましたが当時の上司に許可を取り、翌日すぐに会いに出かけました。

 闘病中でありながら好きなことをして自然に笑って、「がんに人生を支配されていない」山下さん。絶対に彼女の生きざまを伝えたいと強く思いました。つきっきりで取材し、まとめた映像を放送するとその反響は予想以上に大きかったです。

 その後も彼女とは富士登山をしたり、宮古島に旅行に出かけたりと公私にわたっての交流が続きました。彼女は「死ぬ気がしない! 80歳まで生きる」と言う一方で、「今日が最後かもしれない」とも話し、今を大切に丁寧に生きる気遣いの人でした。だから最後に緊急入院したときも目を覚まして「驚かせてごめんね」と笑って言ってくれると信じていました。

●記者の目線で闘病中の自分を振り返る

 彼女に教えてもらうことはたくさんあったのですが、闘病時代の自分と向き合うきっかけももらいました。特番を作ることになり、がんを経験した記者の視点で彼女のどこを特別に感じているのか、二人のやりとりも含めて描こうという話になったのです。そして私の闘病中の映像も流すことになりました。実は記者という立場から「いつか何かに使うかもしれない」と先輩が私の闘病中の様子を撮影してくれていたんです。

 そこで初めて当時の映像を見直すことになるのですが、本当につらい作業でした。「死にたい」と泣き叫んでいるシーンがあったかと思えば、自宅マンションから飛び降りようとしているシーンまで残っていて、当時の絶望的な気持ちを思い出しました。

 しかもショックだったのは、番組の編集担当者が作業をした後の映像を見るとつらいシーンがカットされずにそのまま残っている。「こんなの絶対に出さないで」と涙ながらに訴えましたが、「記者の目線で見たら、これを流さない選択肢はあるか?」と問われ、自分の中でふに落ちました。それに、この映像を見てさんざん泣いたことで、つきものがストンと落ちたような感覚があり、ようやく自分の過去を引き受け、がんになった自分を受け入れることができたと思います。

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最終更新:4/15(月) 11:00
日経doors

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