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火災に遭ったノートルダム大聖堂の「未来」は、遺されたデジタルデータが握っている

4/16(火) 19:11配信

WIRED.jp

焼け落ちた木材の一部は1160年代のものだった。建物の中心をなす長い身廊にかかる屋根や梁は、1220年から40年にかけてつくられていた。どれもいまから1,000年前には、深い森にひっそりとたたずんでいた木々の一部だったのだ。

「パリを眺める人々」を上から眺めてみた

フランスの文化と人類の歴史の拠り所として深く根づいていたノートルダム大聖堂。その尖塔は灰になってしまった。

「こうした建造物のなかでは歴史上、最も古い屋根でした。それも今日までのことですが…」と、アイオワ大学の建築史家のロバート・ボークは言う。「かけがえのない存在でした」

パリという都市の歴史的な象徴

出火したのは4月15日(現地時間)の午後6時半ころで、火元は大聖堂の天井付近とみられている。

大聖堂の尖塔や飛梁は何世紀にもわたって、その姿をシテ島の向こう側にぼんやりと浮かび上がらせていた。そして文豪のヴィクトル・ユゴーの小説の舞台となり、パリという都市において文学的な意味だけでなく、歴史のうえでも象徴としても、その中心であり続けてきた。

それだけに、燃えさかる炎と立ち上る煙は衝撃的でもあった。そして炎が広がるほどに、その影響が明らかになってきた。

エマニュエル・マクロン大統領は予定されていたスピーチをキャンセルした。計400人もの消防隊員が呼び集められた。鉛と木材でつくられた尖塔は、建築家のウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって1860年に、異論もあるなかで修復されたものだ。

文化遺産の多くは助かったが…

大聖堂にあった芸術品や文化遺産などの多くは、火災当日の夜までに安全な場所に移動されていたようだ。しかし、世界中の建築史家たちは取り乱した様子でメールをやり取りしていた。もし建物の4分の3が火に耐えることができれば、もし石壁が残れば──大聖堂を修復できるかもしれないと。

「もし石づくりの地下納骨堂が崩れないまま鎮火すれば、修復は可能だと思います」と、建築史家のボークは指摘する。「もしひびが入って崩れるようなことになれば、建物は完全に失われてしまいます。そうなれば修復ではなく、再建を視野に入れることになるでしょう」

パリ市の消防団は延焼を止めようと必死になっていた。大聖堂の西側から建物内へと燃え広がらないように踏ん張っていたのだ。しかし、大聖堂の木材は、すべて焼け落ちてしまった。それ自体に建築学上の価値があるにもかかわらずである。

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最終更新:4/16(火) 19:11
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