ここから本文です

【バイク界の逸話】 伝説だらけの“怪“速ライダー! 鈴木忠男

4/16(火) 18:30配信

webオートバイ

愛称は「忠さん」。レースでも試乗会でも逸話だらけ!

鈴木忠男、愛称は「忠さん」。ヤマハ車用を核とした高性能オリジナルマフラーで有名なスペシャルパーツ忠男の代表であり、自身は60年代から70年代にかけて大活躍した、ヤマハワークスのモトクロスライダーだ。今回はそんな忠さんの驚くべき逸話をいくつか紹介しよう。

「17歳になって千葉のスピードスクランブルに出たら、優勝してね。最年少だって言われたっけ。それでトーハツが『乗らないか?』って言うの。ワークスマシンのTR250に乗せてくれるって言うんだよ。チームを移籍して乗ってみたんだけど…。全然たいしたことなかった(笑)。ボクの乗ってたYDSといい勝負(笑)。
 それでも誰も乗ってないマシンだから、注目度はスゴかったよ。そうこうしてるうちにトーハツが倒産しちゃった。その少し前からヤマハがモトクロスに本格的に参入して来てて(63年秋から。マシンはYGー1、YAー6、YDSー2がベース。ライダーは荒井市次、三室恵義など)、かなり力を入れていたんだ。
 スポーツライダースの野口種晴(ヤマハの初代ワークスライダー)さんが、たまたま見に来ててね。昼休みに『ちょっと乗ってみないか?』って言うんだよ。YDSベースのワークスマシンね。それで乗せてもらったら、もうハンパじゃないんだ。馬力が倍くらいあるんじゃないかってくらい(笑)。
 でもね、それでもトーハツのTR250に乗ってるボクが勝っちゃうんだから、けっきょくモトクロスっていうのは、マシンの良し悪しじゃないんだね。人間の要素がすごく強いレースなんだ。それでスポーツライダースに入ることになって、その翌年、ヤマハと契約したの。20歳のときだったな」。
 トーハツは50ccでランペットCA2というスポーツバイクを発表し、大人気モデルとなったメーカー。山口オートペットでモトクロスに参戦していた忠さんにとっても、あこがれのモデルだった。当時8000円の給料だったのに、ほぼ年収に近い価格のCA2を購入した忠さんは、このモデルで初優勝を遂げることに成功した。
 ところがトーハツのワークスからは生沢 徹(後に4輪レースに転向。日本のカーレース創世記のトップドライバー)が出走していて、ワークスマシンとの速さの違いに驚かされる。トランスミッションも3速から4速となっていて、クラッチの位置も別物。「乗りたかったなー。そんなもん、乗れるわけないんだけど(笑)」と忠さんは言う。
 全盛期は高性能な2ストの小型車でホンダをも凌ぐ勢いだったトーハツ(正式名称は東京発動機株式会社)は、64年に倒産してしまうのだけど、会社更生法の適用を受けた後、トーハツ(株)として再生し、特にマリンエンジン関係で多くのシェアを占め、現在も活躍している。

1/3ページ

最終更新:4/16(火) 18:30
webオートバイ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo!ニュースからのお知らせ