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日ハム・白村に送りたい、投手→打者転向の成功者・雄平の言葉

4/16(火) 7:50配信

webスポルティーバ

 ヤクルトの試合前練習でのこと。雄平は石井琢朗打撃コーチとのティーバッティングで一心不乱にバットを振り抜いていた。そしてティーバッティングが終わり、雄平がとびっきりの笑顔を見せると、練習を眺めていた河田雄祐外野守備・走塁コーチが「雄平! まぶしすぎるから、そのすばらしい笑顔をやめてくれ」と、たまりかねたように叫んだのだった。

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「なんか照れちゃってね(笑)。あの笑顔には癒されていますよ。なにより、34歳になってもまだうまくなりたいと、守備や走塁にも向上心を持って取り組んでいる意識がすばらしいですよね。僕はその手助けができればと思っています」(河田コーチ)

 雄平のプロ17年目、打者として10年目のシーズンが始まった。2003年にプロ入りしてからの7年間は投手として18勝19敗の成績を残すも、制球難を克服できず、2010年に打者転向となった。

 2011年にはファームで規定打席到達者のなかでトップの打率.330を記録。打者として順調なスタートを切ったが、一軍のレギュラーをつかみかけた2013年に右ひざ前十字靱帯断裂。それでもその翌年、見事な再起を果たし打率.316、23本塁打の大活躍。2015年には14年ぶりの優勝を決めた試合でサヨナラヒット。昨年も5番打者として打率.318をマークするなど、今や欠くことのできない主軸としてチームを牽引している。

「ピッチャー時代を考えれば、ここまでやれるとは想像もしていませんでした。最初は一軍でレギュラーになりたいとか、一軍のレギュラー選手と比較することすらなかったですから」

 雄平は「打者としてのスタートが遅かったので、走攻守すべてにおいて、ほかの選手より何倍も練習しようと意識していました」と、野手に転向した当時を振り返った。

「二軍では試合後に1時間の特守をして、それが終わればバッティングとウエイトでしたね。本当に体が疲れ果てるまで、毎日練習しました。オフシーズンも毎日1000スイングしていましたし……ピッチャーを7年やったといっても、まだ25歳くらいでしたからね。たくさん練習できる体だったので、そこはすごく大きかったと思います」

 とはいえ、プロで7年間もピッチングに打ち込んだ人間にとって、打者転向は戸惑いの連続だったのはないか。

「壁にぶち当たったかと聞かれれば、本当にゼロからのスタートだったので……ポジティブというか、ヘタクソな人はうまくなるしかないんですよ。この感覚わかりますか? ほとんどが失敗なんですけど、ちょっとずつうまくなっていく喜びがあり、練習はすごく楽しかったですね。バッティングはピッチャーが投げたものに対して受身なのでちょっと違うんですけど、守備や走塁での打球判断やスタートなど『あっ、やりたいことができた』とか、ちょっとした喜びが積み重なっていくことで『もっと、もっと』という気持ちになってきました。

 レギュラーになりたいという意識が明確になったのは、一軍に昇格してからで、試合で打てたら『もっと打ちたい』ってなるし、打てなければ『悔しい』と。そうなると、今度はたくさん試合に出るにはレギュラーになるしかないんだと……」

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最終更新:4/16(火) 8:49
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