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ゲイル&キーオ トラを支え続けた“助っ人先発右腕”の系譜/プロ野球1980年代の名選手

4/17(水) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

“猛虎”の日本一を呼び込んだゲイル

 迎えた2019年に在籍10年目となる阪神のメッセンジャー。すでに7度の2ケタ勝利をマークしている右腕だが、猛虎の“助っ投”は歴史が古く、助っ人という考え方がなかった時代から、外国人の投手たちがチームに貢献してきた。

 2000年代には“JFK”の一角を担ったリリーバーのウィリアムスがいたが、さらに古く、阪神の創設に参加してチーム通算最多の233勝を挙げた若林忠志はハワイ出身の日系アメリカ人だ。V9に突入していくライバルの巨人に牙をむいたのがバッキー。その後は全体的に外国人選手は打者が中心になっていったが、“猛虎フィーバー”のあった1980年代、その85年のリーグ優勝、日本一に貢献した“助っ投”がゲイルだ。

 198センチという長身で、吉田義男監督との“凸凹コンビ”だけでなく、天井の低い日本のベンチで頭をぶつけても大丈夫なように練習中にもヘルメットをかぶっていた姿も印象に残る。メジャー通算55勝の現役メジャー・リーガーだが、いま以上にメジャーの投手といえば剛速球というイメージがあった当時、長身を利して上から投げ下ろすだけでなく、時にはスリークオーターから投げることもある技巧派で、スライダーやシュート、チェンジアップなど変化球を主体としたピッチングで、来日1年目のキャンプでは「期待はずれ」という声もあり、「ブーマー(阪急)は2メートルといっているが、実際にはゲイルのほうが高いはず」と球団関係者が発言するなど、身長の話題ばかりが先行した。

 ところが、開幕第2戦から来日初勝利を挙げると、4月は3試合に登板して2勝1敗。チームメートのバースからの「ニッポンの野球に順応すること」というアドバイスに従い、1球ごとに投げ方を工夫、そして“宙吊りトレーニング”なる独特なトレーニング法も実践して、その後も順調に勝ち星を積み上げていく。機動力のある広島と大洋は苦手としたが、ライバルの巨人戦では2試合連続完封も。後半にはロイヤルズが優勝した80年と同様にヒゲをたくわえるなどゲンもかついで、9月には2ケタ10勝に到達。外国人投手が来日1年目に10勝を挙げるのはスタンカ(南海)以来25年ぶりのことだった。

 11日の大洋戦(横浜)ではマジック22を点灯させる11勝目。優勝決定試合となった10月16日のヤクルト戦(神宮)にも先発した。最終的には13勝。西武との日本シリーズでは第2戦(西武)、第6戦(西武)に先発。第6戦では完投して胴上げ投手にもなっている。

 だが、翌86年は、前年にエース級の結果を残しながらも開幕第3戦の起用だったことに反発、たびたび吉田監督とも衝突するようになり、成績も急降下。オフに解雇された。

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最終更新:4/17(水) 16:35
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