ここから本文です

ゲイル&キーオ トラを支え続けた“助っ人先発右腕”の系譜/プロ野球1980年代の名選手

4/17(水) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

“ダメ虎”を支え続けたキーオ

 帰国したゲイルに代わって来日したのがキーオだった。68年に南海でプレーした内野手のマーティ・キーオの息子で、メジャー5球団でプレー。アスレチックスでは3年連続2ケタ勝利の実績はゲイルに負けず劣らず。敗戦投手となったものの、来日1年目から開幕投手を任されるなど、大いに期待された。

 優勝するだけの戦力を備えていた85年に来日したゲイルとは対照的に、そこから急失速していった阪神にあって、来日1年目からチーム最多の11勝を挙げたことは、数こそゲイルに及ばないものの、価値のあるものだったといえるだろう。阪神は以降2年連続で最下位に沈み、“猛虎フィーバー”から一転、“ダメ虎”と揶揄されるようになっていったが、来日2年目は12勝と勝ち星を伸ばし、リーグ6位の防御率2.76をマークする。

 日本でのキャリアハイとなる来日3年目の89年も孤軍奮闘だった。クローザーの中西清起が先発に回るなど先発ローテーションが機能しない中で、鋭いカーブを武器に15勝9敗と貯金も稼いで、阪神の最下位脱出に貢献。崩壊した投手陣にあって、名実ともにエースとしてチームを支える存在だった。

 だが、翌90年は故障もあって精彩を欠き、7勝にとどまると、オフに解雇された。

写真=BBM

週刊ベースボール

2/2ページ

最終更新:4/17(水) 16:35
週刊ベースボールONLINE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊ベースボールONLINE

株式会社ベースボール・マガジン社

野球専門誌『週刊ベースボール』でしか読めない人気連載をはじめ、プロ野球ファン必見のコンテンツをご覧いただけます。

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事