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女子マラソンの土佐礼子さん 五輪の棄権が残した痛み

4/18(木) 7:47配信

NIKKEI STYLE

2000年代、抜群の安定感で日本の女子マラソン界をけん引したのが土佐礼子(42)だ。アテネ、北京と2大会連続で五輪に出場し、世界陸上では2大会で銀、銅のメダルを獲得した。女子マラソンで世界陸上のメダルを2つ持つのは日本で彼女だけだ。全15レース中、唯一の棄権となった北京五輪後、故郷の松山市に帰って競技生活を模索し、12年に現役を退いた。現在は2児を育てながら、市民ランナーとの交流イベントに参加することもある。アスリートの引退後をたどる「未完のレース」、スポーツライターの増島みどりが4回に分けて連載する。
◇   ◇   ◇
静寂に包まれた広いリビングルームには、土佐礼子が豆をひき、丁寧に入れたコーヒーの香りが漂っていた。早春の瀬戸内海に沈んで行く夕日を眺めながら、2児の母はコーヒーを注ぐ。
「一瞬の静けさなんですけれどね……。ほんのちょっと贅沢(ぜいたく)な時間です」
小学3年生の長女と年長になった長男が帰宅する前、短い静寂を噛みしめるように言う。
日本女子マラソン界が、まばゆいほどの輝きを放った黄金時代を築いたランナーは今、故郷松山市で子どもたちの成長を見守り、松山大学に勤務する夫、村井啓一の仕事を支え、穏やかな日々を送っている。

■特別な縁がある名古屋

3月、来年の東京五輪マラソン代表選考会となる「マラソン・グランド・チャンピオンシップ」(MGC)出場権をかけた名古屋ウィメンズマラソンが行われた。現役時代、名古屋は特別な縁をつないだレースばかりだった。
2000年のシドニー五輪を前にした選考会、名古屋国際女子マラソン。五輪出場権をこのレースで獲得した高橋尚子に2分差をつけられたが、2時間24分36秒(当時日本歴代4位の好記録)で2位となり、世界最高峰で争う日本女子マラソン界にデビューする。04年の同マラソンでは、一時はトップと大きく引き離されながら、残り5キロからの大逆転優勝を果たしてアテネ五輪出場権を手中にした。学生時代に練習で出場した地元の愛媛マラソンをのぞき、2位が3回、4位が1回と「シルバーコレクター」になりかけていたキャリアを一変させた会心のレースでもあった。
そして12年、現役最後、生涯15本目の競技マラソンもまた名古屋だった。
「少し前でしたら、もうちょっと若ければ、と考えながら名古屋を見ていたのかもしれません。こうやって走れたかな、と想像した時期もありましたが、今はもう、ただただ懐かしい、その一言です。よく走っていたなぁと、現実だったのか分からなくなるほど昔の出来事に思えてしまいます」
優しく笑いながら、2杯目のコーヒーをカップに注ぐためキッチンに立った。横顔に淡い夕焼けが映し出される。
「昔の出来事」には、懐かしいと振り返ることのできるものもあれば、今でも「懐かしい」では語り切れない辛い経験も共にある。
04年のアテネに続き2度目の五輪出場をかなえた08年北京を前に、ずっと抱えていた左足外反母趾(ぼし)の痛みが右足にも出始めていた。

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最終更新:4/18(木) 12:15
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